寂然
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時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 元永元年(1118年)頃[1] |
死没 | 不明 |
改名 | 頼業→寂超 |
別名 | 号:唯心房 |
官位 | 従五位下・壱岐守 |
主君 | 近衛天皇 |
氏族 | 藤原北家長良流 |
父母 | 父:藤原為忠 |
兄弟 |
為盛、為業、寂超、寂然、兼豪、忠宴、昌忠、藤原光房室、藤原俊成室、 平忠盛室? |
寂然(じゃくせん/じゃくねん)は、平安時代後期の僧・貴族・歌人。俗名は藤原 頼業(ふじわら の よりなり)。藤原北家長良流、丹後守・藤原為忠の四男。官位は従五位下・壱岐守。(諸説あり不詳)
経歴
[編集]元永年間(1118年 - 1119年)の生まれとされる。崇徳朝にて東宮・躰仁親王(のち近衛天皇)の蔵人や左近衛将監を務める。康治元年(1141年)従五位下に叙爵し、翌康治2年(1142年)に壱岐守に任ぜられる。
遅くても久寿年間(1154年-1156年)に出家し大原に隠棲した。法名を寂然と称し、同じく出家した兄弟の寂念・寂超と共に大原三寂・常盤三寂と呼ばれた。西行・西住とは親友の間柄であったと言われている。また、各地を旅行して讃岐国に流された崇徳院を訪問した事もある。寿永年間には健在であったとみられるが晩年は不詳。(諸説あり不詳)
人物
[編集]和歌に優れ私撰集に『唯心房集』『寂然法師集』『法門百首』があり、『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に47首が入首。強い隠逸志向と信仰に裏付けられた閑寂な境地を切り開いた。また、今様にも深く通じていた。(諸説あり不詳)
官歴
[編集]出典
[編集]- 井上宗雄「常磐三寂年譜考」『国文学研究 21』早稲田大学国文学会、1960年