富国館
富国館 | |
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情報 | |
旧名称 | 太平ビルディング |
用途 | 事務所 |
設計者 | 吉武建築事務所 |
施工 | 戸田組 |
建築主 | 太平生命保険 |
事業主体 | 富国生命保険 |
構造形式 | 鉄筋コンクリート構造 |
階数 | 地下1階、地上8階、塔屋2階 |
着工 | 1926年(大正15年)3月 |
竣工 | 1927年(昭和2年)11月 |
改築 | 1977年(昭和52年)4月解体 |
座標 | 北緯35度40分14.34秒 東経139度45分18.79秒 / 北緯35.6706500度 東経139.7552194度座標: 北緯35度40分14.34秒 東経139度45分18.79秒 / 北緯35.6706500度 東経139.7552194度 |
富国館(ふこくかん)とは、かつて日本の東京都千代田区内幸町にあった建築物。旧称は太平ビルディング。別称は富国生命館、富国生命ビルなど。
沿革
[編集]太平生命保険(後の日産生命保険)は1909年(明治42年)の創業後、東京府東京市麹町区内幸町一丁目4番地(現在の東京都千代田区内幸町2丁目)に仮社屋を設けて営業していたが、1925年(大正14年)11月、隣接地に永久構造による社屋建築を決め、翌1926年(大正15年)3月着工、1927年(昭和2年)11月に竣工、12月5日より新社屋での営業を開始した[1]。直後の1928年(昭和3年)12月に増築工事にかかり、増築部は1930年(昭和5年)6月に竣工した[1]。
太平生命を率いる根津嘉一郎 (初代)は既に富国徴兵保険(後の富国生命保険)、昭和火災(現在の損害保険ジャパン)も傘下に収めており、両社も太平ビルに本社を移した。1939年(昭和14年)に土地、1940年(昭和15年)に建物の所有権が富国徴兵に移り、名称も「富国館」と変わった[1]。
第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)6月[1]、GHQに接収され、1949年(昭和24年)12月までホテルとして使用された。
接収解除後、富国生命では改築を検討していたが、折しも隣接する物産館(旧日産館)・日比谷国際ビルヂング(旧NHK東京放送会館)の再開発計画が持ち上がり、同社はそれぞれの事実上の保有者である三井物産、三菱地所や周辺地権者と共に計画に参画した。共同再開発計画は三井物産の離脱があったものの進められ、1977年(昭和52年)4月、富国生命ビル(日比谷シティの一部を構成)建設のため解体された[2]。
建築概要
[編集]設計は吉武建築事務所にして施工は戸田組(後の戸田建設)、増築工事の施工は錢高組である。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 日産生命保険相互会社編纂 『日産生命80年史』 日産生命保険相互会社、平成元年(1989年)12月10日。
- 三菱地所株式会社社史編纂室編 『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 三菱地所株式会社、平成5年(1993年)。