富士親時
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時代 | 室町時代 |
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改名 | 又次郎(幼名)→親時 |
官位 | 能登守 |
氏族 | 富士氏 |
父母 | 父:富士忠時 |
子 | 富士信盛 |
富士 親時(ふじ ちかとき 生没年不詳)は、室町時代の富士山本宮浅間大社大宮司で、富士氏当主。
略歴
[編集]富士忠時の子である。文正元年(1466年)の「足利義政御内書」で富士忠時から富士親時への大宮司職の移動を伝えられており、このとき浅間大社の大宮司職に就いている[1]。またその後親時は明応6年(1497年)に、浅間大社の物忌令を発給している[2]。
富士大宮司は富士山の祭祀を司る身であるが、親時は富士山への仏像類の奉納を繰り返した。文明10年(1478年)に父忠時と共に富士山頂の大日堂に仏像を奉納し、明応2年(1493年)5月16日には十一面観音像[3]を富士山頂東賽ノ河原に奉納していることが確認されている。銘文には「檀那富士大宮司親時」とある[4]。この十一面観音像については『甲斐国志』にも記述が残り、『甲斐国志』巻三十五には「東ノ斉ノ河原ト云十一面観音ノ鉄像アリ(中略)檀那富士大宮司親時(中略)明応二年(癸丑)五月十六日…」とある。