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富山市立和合中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
富山市立和合中学校
富山市立和合中学校
地図北緯36度44分57.282秒 東経137度11分9.424秒 / 北緯36.74924500度 東経137.18595111度 / 36.74924500; 137.18595111座標: 北緯36度44分57.282秒 東経137度11分9.424秒 / 北緯36.74924500度 東経137.18595111度 / 36.74924500; 137.18595111
国公私立の別 公立学校
設置者 富山市
設立年月日 1951年(昭和26年)4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C116220130164 ウィキデータを編集
所在地 930-2233
富山県富山市布目3967番地[1]
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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富山市立和合中学校の位置(富山県内)
富山市立和合中学校

富山市立和合中学校(とやましりつ わごうちゅうがっこう)は、富山県富山市にある市立中学校富山飛行場跡地の一部に立地している[2]

校名は、四方海岸が万葉の時代に「和合の浦」と称されていたのが由来である(和合町の町名の由来にもなった)。当初は「四方中学校」とする意見もあったが、初代校長により「和合中学校」と決定された[3]

沿革

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  • 1947年昭和22年)
  • 1948年(昭和23年)12月2日 - 校歌制定。同日、旧富山飛行場跡での新校舎建設決定[4]
  • 1949年(昭和24年)
    • 11月17日 - 仮校舎の四方小学校から移転[5]
    • 11月21日 - 校舎第1期工事竣工[4]。初代校舎は細入村楡原の高田アルミ工場の古建物を解体移築したものである[6]。また、請負業者である香西建設会社が東京へ移転し工事の進行に支障が生じたため、工期が大幅に遅れていた[5]
  • 1950年(昭和25年)9月30日 - 校舎第2期工事竣工。同日、校旗を樹立[4]
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 八幡中学校と合併、長岡村針原の生徒を呉羽中学校に編入。同日。四方町他三ヵ村(八幡村、倉垣村、本江村)学校組合立和合中学校となる[4]
  • 1952年(昭和27年)10月 - 新校舎第4期工事竣工[7]
  • 1954年(昭和29年)3月 - 和合町誕生により、和合町新湊市学校組合立和合中学校が発足[7]
  • 1960年(昭和35年)10月 - 富山市との合併により、富山市新湊市学校組合立和合中学校が発足[7]
  • 1961年(昭和36年)7月 - 体育館(鉄筋平屋建アルミ瓦ぶき268坪)竣工[7]
  • 1979年(昭和54年) - 現校名に改称[8]

部活動

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運動部

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文化部

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校区

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出身者

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 富山市立学校設置条例 別表第2(第2条関係)
  2. ^ 『富山大百科事典 下巻』(1994年8月1日、北日本新聞社発行)491ページ。
  3. ^ 『倉垣郷土史』(2009年3月30日、倉垣自治振興会発行)249 - 250頁。
  4. ^ a b c d e f 『倉垣郷土史』(2009年3月30日、倉垣自治振興会発行)246頁。
  5. ^ a b 『倉垣郷土史』(2009年3月30日、倉垣自治振興会発行)255頁。
  6. ^ 『倉垣郷土史』(2009年3月30日、倉垣自治振興会発行)254頁。
  7. ^ a b c d 『富山市史 第五巻』(1980年3月10日、富山市役所発行)1260頁。
  8. ^ 『北日本新聞』2015年7月27日付7面『学びや上空2015 和合中学校(富山市) 信頼できる学校づくり』より。

外部リンク

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