富山市立山田小学校
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富山市立山田小学校 | |
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北緯36度35分4.448秒 東経137度4分49.613秒 / 北緯36.58456889度 東経137.08044806度座標: 北緯36度35分4.448秒 東経137度4分49.613秒 / 北緯36.58456889度 東経137.08044806度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 富山市 |
設立年月日 | 1904年(明治37年)4月20日 |
創立記念日 | 1874年(明治7年)4月27日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B116220100643 |
所在地 | 〒930-2106 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
富山市立山田小学校(とやましりつ やまだしょうがっこう)は富山県富山市にある公立小学校。
沿革
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- 初代山田尋常小学校→山田国民学校→山田小学校
- 1904年(明治37年)4月20日 - 小島尋常小学校(1874年4月27日に小島小学校として創校)と湯村尋常小学校(1875年に湯村小学校として創立)が合併し、校舎を新築。山田尋常小学校が創立[2]。
- 1907年(明治40年) - 高等科を併置[3]。
- 1941年(昭和16年) - 山田国民学校が発足[4]。
- 1947年(昭和22年)
- 1952年(昭和27年)10月 - 小中兼用の体育館が増改築[5]。
- 1956年(昭和31年)6月 - 校舎増改築[5]。同年7月14日落成式。校舎南側に2階建延べ建坪164坪を増築(普通教室4、作法室、音楽室の2特別教室が出来、防火扉も設けた)し、改築工事では正面玄関と普通玄関がそれぞれスマートな玄関口に改築された[6]。
- 現・山田小学校
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)3月14日 - 校舎、体育館の新築落成式典[8]。
- 1970年(昭和45年)5月13日 - 深道分校が高清水、深道地区の全村転出により閉校[8]。
- 1972年(昭和47年)4月 - 鍋谷小学校が山田小学校に統合される[8]。
- 1981年(昭和56年)9月 - 校内飲料水を簡易水道に切り替え[10]。
- 1983年(昭和58年) - 小学校横に小中兼用の寄宿舎を鉄筋コンクリート造3階建にて新築、同年12月より使用開始[11]。
- 2006年(平成18年)12月 - 富山市立山田中学校と一体となった新校舎が完成[12]。
通学区域
[編集]山田高清水、山田深道、山田数納、山田若狭、山田居舟、山田鍋谷、山田谷、山田若土、山田鎌倉、山田小谷、山田赤目谷、山田北山、山田湯、山田中村、山田小島、山田城山、山田上中瀬、山田竹の内、山田中瀬、山田白井谷、山田前田、山田沼又、山田牧、山田清水、山田今山田、山田宿坊、山田沢連、山田柳川、山田大山[13]
進学先中学校
[編集]周辺
[編集]- 富山市立山田中学校 - 同住所に存在
- 山田郵便局
- 富山県道59号富山庄川線
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 富山市立学校設置条例 別表第1(第2条関係)
- ^ 『山田村史 上巻』(1984年12月30日、山田村役場発行)205 - 209頁。
- ^ 『山田村史 上巻』(1984年12月30日、山田村役場発行)209頁。
- ^ 『山田村史 上巻』(1984年12月30日、山田村役場発行)210頁。
- ^ a b c d e 『山田村史 上巻』(1984年12月30日、山田村役場発行)401頁。
- ^ 『北日本新聞』1956年7月13日付朝刊8面『あす落成式 婦負山田校舎増改築なる』より。
- ^ a b c d e 『山田村史 上巻』(1984年12月30日、山田村役場発行)399頁。
- ^ a b c d 『山田村史 上巻』(1984年12月30日、山田村役場発行)400頁。
- ^ 『山田村史 上巻』(1984年12月30日、山田村役場発行)400 - 401頁。
- ^ 『山田村史 上巻』(1984年12月30日、山田村役場発行)402頁。
- ^ 『山田村史 上巻』(1984年12月30日、山田村役場発行)401頁。
- ^ 『北日本新聞』2013年7月1日付朝刊7面『空から学びやこんにちは 山田小学校 (富山市)』より。
- ^ a b “富山市小中学校通学区域表”. 富山市教育委員会 (2022年4月1日). 2022年4月8日閲覧。