富山電気ビルデイング
富山電気ビルデイング | |
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情報 | |
用途 | 賃貸オフィス、レストラン、結婚式場 |
旧用途 | ホテル |
設計者 | 富永襄吉[1] |
構造設計者 | 内藤多仲[1] |
管理運営 | 富山電気ビルデイング |
延床面積 | 19,557 m² |
階数 | 地上5階、地下1階(本館) |
竣工 | 1936年4月8日 |
所在地 |
〒930-0004 富山県富山市桜橋通り3番1号 |
座標 | 北緯36度41分48.6秒 東経137度13分0.5秒 / 北緯36.696833度 東経137.216806度座標: 北緯36度41分48.6秒 東経137度13分0.5秒 / 北緯36.696833度 東経137.216806度 |
文化財 | 登録有形文化財 |
指定・登録等日 | 2018年11月2日 |
富山電気ビルデイング(とやまでんきビルデイング)は、富山県富山市桜橋通りにある建築物。富山県内では電気ビルディングあるいは電気ビルと呼ばれている。1936年4月8日に竣工し、富山市内では富山県庁舎(富山県庁)とともに第二次世界大戦以前に竣工した建築物である。
富山電気ビルデイング株式会社が所有・管理を行っている。本項目では、法人の富山電気ビルデイングについても詳述する。なお、ビル名・会社名のいずれも正式名称は「ビルデイング」であり、「ビルディング」ではない。
概要
[編集]1936年に開催された日満産業大博覧会に合わせて、当時の日本海電気(富山県域を営業区域としていた電力会社・現在の北陸電力の前身)本社ビルとして1936年4月8日に県内初の複合オフィスビルとして竣工した[1][2]。建築の目的として地域産業の発展と地方文化の向上に寄与することを挙げており、日本海電気社長の山田昌作(後の北陸電力初代社長)の意向もあって、富山県内の経済人の交流の場としてビル内に社交クラブ(富山社交倶楽部)が置かれた[2]。
外観にタイル張りが施された鉄筋コンクリート製の建築物で、1936年に竣工した本館は地上5階・地下1階の構造となっている[2][3]。ビルの中央部を高くしてバルコニーを設け、両端に丸窓も設けられている。その外観から『埠頭に浮かぶ軍艦』とも呼ばれていた[1]。1945年8月1日の富山大空襲の戦災にも焼夷弾の屋上への直撃で焼失した5階部分を除き耐え[1]建築当時の外観が現在もほぼ保たれている、各階から投下する真鍮製郵便ポストが竣工当初以降現役である[1]など、1935年8月17日に竣工した富山県庁舎と並び昭和初期の富山の象徴となっている[3]。また、1956年11月には新館、1972年2月には新館東側に第二新館が竣工した(第二新館は北陸電力が所有)。
2018年7月20日、文化審議会は富山電気ビルデイングを国登録有形文化財に登録するよう文部科学大臣に答申[3][4]、同年11月2日の官報で告示され正式に登録となった[5]。国登録有形文化財として登録されるのは、本館と新館の2棟となっている[6]。
歴史
[編集]富山電気ビルデイングの建設の背景には、富山市の旧都市計画法に基づく都市整備事業がある。神通川の廃川地が明治時代から放置状態にあり、都市機能の障害となっていた。北陸電力の前身であった日本海電気と富山市の思惑が一致し、富山県庁舎とともに富山市の近代化発展と賑い創出の象徴として建設された。完成後は、日本海電気の本社(地下1階から2階に入居[2])のほかに、日本海側では3番目(北陸では最初)に開業した「富山電気ビルホテル」も4階に併設され、1958年の第13回国民体育大会開催時には昭和天皇、香淳皇后が宿泊し、『富山の迎賓館』とも呼ばれていた(ホテルは1974年に閉鎖)[1][7]。この他、大ホールや能舞台も設置されていた[1]。
第二次世界大戦後の1945年11月には、進駐軍の富山司令部が設置(1952年6月廃止)。また、1951年5月1日に北陸電力が設立されてからは、1989年5月に富山市牛島町の北電ビル(富山駅北側)が完成・移転されるまでは本店が置かれていた。
沿革
[編集]- 1936年4月8日 - 富山電気ビルデイング竣工(後の本館)[8]。
- 1951年5月1日 - 北陸電力設立(発足時は延床面積7,316m2が本店、北陸配電からの引継ぎ)[9]。
- 1952年9月 - 進駐軍の接収が正式解除[10]
- 1953年 - 進駐軍の接収解除に伴う改修工事が終了し、ホテルと食堂の営業が再開[1]。
- 1956年11月28日 - 6階に工事現場を結ぶマイクロウェーブの設備が施された新館が竣工[11](延床面積7,378m2)。同年12月1日に北陸電力本店が新館[12]、同年12月16日に富山支店が旧日本発送電社屋から本館(旧館)に移転[13][14]。
- 1972年2月29日 - 新館東側に第二新館竣工(延床面積10,569m2)。
- 1989年
エピソード
[編集]- 富山電気ビルデイングにはレストランを設けており、ホテルが開設されていた頃は帝国ホテルからサービスなどの指導を受けていた。作家の池波正太郎は電気ビル内のレストランのカレーライスを富山来訪時には食していた[16]。
富山電気ビルデイング株式会社
[編集]種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒930-0004 富山県富山市桜橋通り3番1号 |
設立 | 1936年2月26日 |
業種 | 卸売業 |
法人番号 | 6230001002116 |
事業内容 | 不動産事業、食堂経営 |
代表者 | 代表取締役社長 山田岩男 |
資本金 | 3億9000万円 |
売上高 | 69億2228万円(2009年3月期) |
総資産 | 105億1,227万円(2009年3月31日時点) |
従業員数 | 188人(2009年6月時点) |
決算期 | 3月 |
主要株主 | 北陸電力、北陸銀行 |
主要子会社 | 日本海冷蔵、北産運輸 |
外部リンク | https://www.toyamadenbil.co.jp/ |
概要
[編集]沿革
[編集]- 1936年2月26日 - 富山電気ビルデイング設立。
- 1952年7月 - 東京支店開設。
- 1958年4月 - 丸善石油(現・コスモ石油)特約店として石油販売を開始。
- 1969年6月 - 金沢出張所開設(1973年4月に金沢営業所に改組)。
主な事業内容
[編集]- 不動産・賃貸ビルの運営
- レストラン・喫茶店運営
- 電気ビルレストラン(本館4階・県民会館店)、北電食堂など
- 石油販売、電力・電子機材の販売
参考文献
[編集]- 『ふるさと富山歴史館』 - 富山新聞社
- 『北陸電力五十年史』 - 北陸電力
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 北日本新聞 2019年1月5日付30 - 31面『祝・富山電気ビルディング国登録有形文化財(建造物)登録記念 いつも、いつまでも、富山とともに』より。
- ^ a b c d “挑戦 北陸財界ものがたり 北陸電力(4) 電気ビル 発展に貢献”. 中日新聞 (2014年10月21日). 2019年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月9日閲覧。
- ^ a b c “富山電気ビルを国有形文化財に 文化審が答申”. 北國新聞 (2018年7月21日). 2018年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月9日閲覧。
- ^ 『登録有形文化財(建造物)の登録について』(PDF)(プレスリリース)文化庁、2018年7月20日 。2019年2月10日閲覧。
- ^ “電気ビル本館・新館の国登録有形文化財(建造物)の正式登録”. 富山電気ビルデイング管理部 (2018年11月2日). 2019年2月10日閲覧。
- ^ “国の登録有形文化財(建造物)の登録について”. 富山県教育委員会 (2018年7月21日). 2018年9月16日閲覧。
- ^ 『まんまる』2018年6月号(北日本新聞社)10ページ
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第一巻』(2000年5月20日、富山市発行)224頁。
- ^ 『北陸電力50年史』(2001年11月、北陸電力発行)193頁。
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞発行)68頁。
- ^ 『富山市史 第三巻』(1960年4月15日、富山市役所発行)673‐674頁。
- ^ 『北陸電力50年史』(2001年11月、北陸電力発行)592頁。
- ^ 『北陸電力70年史』(2021年11月、北陸電力発行)601頁。
- ^ a b 『北陸電力50年史』(2001年11月、北陸電力発行)194頁。
- ^ 『富山市史 編年史<上巻>』(2015年3月20日、富山市発行)32 - 33頁。
- ^ 電気ビル物語
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 富山電気ビルデイング - 公式サイト
- 富山電気ビルデイング本館 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 富山電気ビルデイング新館 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- とやまの文化遺産 富山電気ビルデイング本館、新館 - とやまの文化遺産魅力発信事業実行委員会(富山県教育委員会)
- 富山電気ビルデイング株式会社 - 企業公式サイト