富樫泰俊
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 永正8年(1511年)? |
死没 | 天正2年2月19日(1574年3月12日) |
官位 | 加賀介(富樫介) |
氏族 | 富樫氏 |
父母 | 父:富樫稙泰 |
兄弟 | 泰俊、晴貞 |
子 | 稙春、天易侍者、家俊 |
富樫 泰俊(とがし やすとし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。富樫氏27代当主[1]。加賀国野々市城主。
略歴
[編集]富樫稙泰の長男として誕生。享禄4年(1531年)の大小一揆に小一揆方として参戦したが、捕らえられた。後に逃亡して、弟・晴貞の死後、家督を継いだという。一度加賀へ戻り野々市城主となるが、本願寺方に攻められ、越前国金津城主・溝江長逸のもとに身を寄せた。
しかし天正2年(1574年)、越前一向一揆により金津城は落城、泰俊は子の稙春・天易侍者共々自害し、富樫氏は滅亡した。
なお、三男・家俊は辛くも難を逃れて名を後藤弥右衛門と改め、佐久間盛政に仕えて300石の所領を得た。