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武雄山喬義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
富永丈喜から転送)

武雄山 喬義(ぶゆうざん たけよし、1974年7月29日 - )は、愛知県豊橋市出身で武蔵川部屋に所属した元大相撲力士。本名は富永 丈喜(とみなが たけよし)。現役時代の体格は身長181cm、体重164kg。得意手は突き、押し。最高位は東前頭筆頭(2002年3月場所)。現在は年寄山分

来歴

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愛知県豊橋市の農家の家に生まれた。3人兄弟の末っ子で、次兄は競輪選手の富永益生。小学校時代は体が弱く、水泳をやっていた。地元の豊橋市立北部中学校、その後愛工大名電高校を経て、明治大学を卒業。同級生には玉力道等がいる。愛称は「トミー」、「タケヨシ」、「トミナガ」など。座右の銘は「前へ前へ」。好きな食べ物は焼き鳥、コーヒー、焼肉。スポーツ歴は水泳、相撲、バスケットボール、血液型はA型。四股名の由来は地元でお世話になってる方からの薦め。

略歴

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  • 1989年頃 子供の頃より相撲をやっており、この年の大会で2つ年下の田宮(後の琴光喜、解雇)に負け、大いに悔しがって大泣きし、相撲に本腰を入れる。
  • 1997年3月場所 明治大学を卒業し、武蔵川部屋に入門。初土俵を踏む。
  • 2000年5月場所 - 新十両に昇進、しかし初日から7連敗し6勝9敗と負け越し、1場所で幕下に陥落。
  • 2000年10月 - 9月場所で1場所で十両復帰したが6勝9敗と負け越し、しかも秋巡業中に朝青龍との稽古で右膝を負傷し同年11月場所も5勝10敗と大きく負け越してまた幕下に陥落した。
  • 2001年1月場所、2勝しか出来なかったが、コレだという押しのコツを掴む事に成功する。
  • 2001年7月場所 - 十両復帰を果たし、史上最も低い成績の9勝6敗で8人の優勝決定戦を勝ち抜き見事十両優勝、そして次の9月場所も11勝4敗と二桁勝利を挙げ、一気に新入幕を決めた。
  • 2001年11月場所 - 新入幕を果たし、いきなり10勝5敗で敢闘賞を受賞。
  • 2002年1月場所 - 11勝4敗で新入幕から2場所連続敢闘賞受賞。ちなみに、この場所では大関を目指した関脇琴光喜にも勝っており、この一番は琴光喜が大関昇進を不運にも見送られる一因となった。
  • 2002年3月場所 - 2日目の朝青龍戦(実際は初日の千代大海戦)で右膝内側側副靱帯損傷・右膝関節内障の重傷を負い3日目から途中休場。以後精彩を欠き幕内下位に低迷。
  • 2005年7月場所 - 東前頭15枚目で4勝11敗と大敗し、2003年1月場所以来14場所ぶりに十両に陥落し、翌9月場所(東十両3枚目で6勝9敗)と11月場所(東十両6枚目で7勝8敗)も負け越し。
  • 2006年1月場所 - 西十両6枚目で10勝5敗と6場所ぶりに勝ち越し、4場所ぶり幕内復帰。
  • 2006年9月場所 - 西十両5枚目で初日から14連敗で1勝14敗、幕下陥落。
  • 2006年11月場所 - 西幕下2枚目で十両復帰を目指したが、2勝5敗と負け越しに終わった。
  • 2007年1月場所 - 東幕下12枚目で6勝1敗。復調の兆しを見せるが、その後は5場所連続負け越して結局十両に復帰できなかった。
  • 2007年11月場所 - 西幕下40枚目で3勝4敗。千秋楽に引退を表明、年寄・大鳴戸を襲名。
  • 2009年7月場所 - 出島の引退に伴い、関ノ戸を襲名した。
  • 2010年9月 - 先代山分親方の退職に伴い、山分の株を取得し襲名。
  • 2014年4月 - 新たな職務分掌では地方場所(福岡)担当となった。

主な成績

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  • 通算成績:353勝370敗12休 勝率.488
  • 幕内成績:167勝196敗12休 勝率.460
  • 現役在位:65場所
  • 幕内在位:25場所
  • 三賞:2回
    • 敢闘賞:2回(2001年11月場所、2002年1月場所)
  • 各段優勝
    • 十両優勝1回(2001年7月場所)

場所別成績

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武雄山喬義
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1997年
(平成9年)
x 幕下付出60枚目
4–3 
東幕下52枚目
3–4 
東三段目2枚目
5–2 
東幕下43枚目
5–2 
東幕下25枚目
5–2 
1998年
(平成10年)
西幕下13枚目
4–3 
西幕下7枚目
2–5 
東幕下20枚目
4–3 
西幕下16枚目
6–1 
東幕下3枚目
3–4 
西幕下7枚目
4–3 
1999年
(平成11年)
西幕下4枚目
3–4 
東幕下8枚目
2–5 
西幕下18枚目
4–3 
東幕下13枚目
5–2 
東幕下5枚目
4–3 
西幕下3枚目
3–4 
2000年
(平成12年)
西幕下7枚目
5–2 
東幕下3枚目
5–2 
西十両12枚目
6–9 
西幕下3枚目
5–2 
西十両8枚目
6–9 
西十両10枚目
5–10 
2001年
(平成13年)
西幕下2枚目
2–5 
西幕下10枚目
5–2 
東幕下4枚目
5–2 
東十両12枚目
優勝
9–6
東十両8枚目
11–4 
西前頭15枚目
10–5
2002年
(平成14年)
東前頭8枚目
11–4
東前頭筆頭
0–3–12[1] 
西前頭12枚目
6–9 
西前頭14枚目
10–5 
西前頭5枚目
5–10 
東前頭11枚目
4–11 
2003年
(平成15年)
東十両2枚目
11–4 
西前頭10枚目
7–8 
東前頭12枚目
9–6 
西前頭6枚目
7–8 
東前頭7枚目
7–8 
東前頭8枚目
4–11 
2004年
(平成16年)
西前頭14枚目
10–5 
東前頭9枚目
8–7 
東前頭6枚目
4–11 
東前頭12枚目
8–7 
西前頭11枚目
8–7 
西前頭8枚目
5–10 
2005年
(平成17年)
西前頭13枚目
9–6 
東前頭10枚目
6–9 
東前頭12枚目
6–9 
東前頭15枚目
4–11 
東十両3枚目
6–9 
東十両6枚目
7–8 
2006年
(平成18年)
西十両6枚目
10–5 
東前頭17枚目
8–7 
東前頭15枚目
7–8 
西前頭15枚目
4–11 
西十両5枚目
1–14 
西幕下2枚目
2–5 
2007年
(平成19年)
東幕下12枚目
6–1 
東幕下3枚目
3–4 
東幕下7枚目
3–4 
東幕下12枚目
2–5 
西幕下26枚目
2–5 
西幕下40枚目
引退
3–4–0
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
蒼樹山 3 1 安芸乃島 2 1 朝青龍 0 1 朝赤龍 6 7
朝乃若 3 3 安美錦 5 6 岩木山 0 3 潮丸 3 0
皇司 10 1 大碇 1 0 小城錦 2 0 海鵬 2 4
春日王 2 3 春日錦 1 4 片山 1 2 稀勢の里 3 1
北桜 3 2 旭鷲山 6 4 旭天鵬 0 5 金開山 3 0
光法 1 0 五城楼 1 3 黒海 1 3 琴奨菊 0 1
琴ノ若 2 5 琴光喜 2 5(1) 琴龍 3 4 霜鳥 6 4
十文字 7 7 駿傑 0 1 戦闘竜 1 0 大善 2 0
大真鶴 0 1 隆の鶴 2 1 貴ノ浪 2 2 隆乃若 2 5
高見盛 1 7 豪風 2 6 玉飛鳥 0 1 玉春日 6 5
玉乃島 0 8 玉力道 4 2 千代大海 0 1 千代天山 4 0
闘牙 4 5 時津海 4 10 時天空 2 3 土佐ノ海 1 4
栃栄 5 6 栃乃洋 1 9 栃乃花 3 2 豊桜 3 4
豊ノ島 3 4 白鵬 0 1 白露山 2 0 濵錦 3 1
追風海 4 2 春ノ山 2 1 日馬富士 2(1) 1 肥後ノ海 0 1
普天王 1 3 豊真将 1 1 北勝力 3 8 燁司 2 2
嘉風 1 2 露鵬 1 2 若兎馬 4 0
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

改名歴

[編集]
  • 富永山 丈喜(とみながやま たけよし、1997年3月場所 - 1999年3月場所)
  • 武雄山 喬義(ぶゆうざん たけよし、1999年5月場所 - 2007年11月場所)

年寄歴

[編集]
  • 大鳴戸 矯嘉(おおなると たけよし、2007年11月場所-2009年7月場所)
  • 関ノ戸 矯嘉(せきのと たけよし、2009年7月場所)
  • 関ノ戸 丈義(せきのと たけよし、2009年9月場所-2010年9月場所)
  • 山分 喬喜(やまわけ たけよし、2010年9月場所-)

脚注

[編集]
  1. ^ 右膝内側側副靱帯損傷・右膝関節内障により3日目から途中休場

関連項目

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外部リンク

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