富沢古墳
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富沢古墳 | |
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墳丘(中央右に石室開口部) | |
別名 | 新見古墳 |
所在地 | 鳥取県八頭郡智頭町新見(字アソフ子セイミ) |
位置 | 北緯35度15分3.25秒 東経134度11分37.98秒 / 北緯35.2509028度 東経134.1938833度座標: 北緯35度15分3.25秒 東経134度11分37.98秒 / 北緯35.2509028度 東経134.1938833度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径11-13m 高さ2.5m |
埋葬施設 | 片袖式横穴式石室 |
出土品 | 須恵器 |
築造時期 | 6世紀末-7世紀初頭 |
史跡 | 智頭町指定史跡「富沢古墳」 |
地図 |
富沢古墳(とみざわこふん)は、鳥取県八頭郡智頭町新見にある古墳。形状は円墳。智頭町指定史跡に指定されている。
概要
[編集]鳥取県南東部、智頭盆地西部の新見川北岸に築造された古墳である。これまでに発掘調査は実施されていない。
墳形は円形で、南北13メートル・東西11メートル・高さ2.5メートルを測る[1]。墳丘上には列石が認められる[2]。埋葬施設は片袖式の横穴式石室で、南南東方向に開口する。現在では羨道開口部が破壊されているが、大部分は良好に遺存しており、智頭郡では代表的な横穴式石室になる。石室内からは須恵器片が採集されている[2]。築造時期は古墳時代後期-終末期の6世紀末-7世紀初頭[3](または7世紀前半[1])頃と推定される。
古墳域は1996年(平成8年)に智頭町指定史跡に指定されている。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては片袖式横穴式石室が構築されており、南東方向に開口する。石室の規模は次の通り[3]。
- 石室全長:残存7.7メートル
- 玄室:長さ4.4メートル、幅1.5メートル
- 羨道:幅0.95メートル、高さ1.6メートル
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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羨道(開口部方向)
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開口部
文化財
[編集]智頭町指定文化財
[編集]- 史跡
- 富沢古墳 - 1996年(平成8年)7月1日指定[4]。
脚注
[編集]- ^ a b 史跡説明板。
- ^ a b c 智頭町誌 上巻 2000.
- ^ a b 新鳥取県史 資料編 考古2 古墳時代 2020.
- ^ 智頭町の指定・登録文化財(智頭町ホームページ)。
参考文献
[編集]- 史跡説明板(智頭町教育委員会、1997年設置)
- 「富沢古墳」『智頭町誌 上巻』智頭町、2000年。
- 「富沢古墳」『新鳥取県史 資料編 考古2 古墳時代』鳥取県、2020年。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、富沢古墳に関するカテゴリがあります。