富谷千太郎
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富谷 千太郎 とみたに せんたろう | |
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生年月日 | 1858年2月5日 |
出生地 |
鳥取県西伯郡余子村大字竹内 (現境港市竹内町) |
没年月日 | 1924年10月23日(66歳没) |
親族 | 富谷栄(第11代余子村長) |
初代余子村長 | |
在任期間 | 1889年11月 - 1891年3月 |
余子村会議員 | |
在任期間 | 1889年 - |
富谷 千太郎(とみたに せんたろう、安政5年2月5日(1858年3月19日) - 大正13年(1924年)10月23日)は、日本の茶人、政治家。余子村長(初代)、余子村会議員。
経歴
[編集]竹内村(のち鳥取県境港市竹内町)出身。父喜七郎は醤油醸造をはじめ手広く事業をやっており、元治元年(1864年)の外江大火には醤油を見舞ったという[1]。また村役人を務めた記録もある[1]。
千太郎は初代村長として余子尋常小学校を開校し、明治23年(1890年)竹内村津山長四郎宅に役場を移転した[1]。
いつのころか家業に失敗し、その後は煮干鰮製造や養鶏等を手掛けた[1]。
またお茶やお花の宗匠でもあり、この道を海外で広めようと渡米したが、時期尚早で目的成らず帰国した[1]。
晩年は、余子駅西方の松林に茶室を建てて老後を楽しみ、弟子も多かった[1]。