小久保悟
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名前 | ||||||
カタカナ | コクボ サトル | |||||
ラテン文字 | KOKUBO Satoru | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1967年12月29日(56歳) | |||||
出身地 | 鹿児島県鹿児島市 | |||||
身長 | 173cm[1] | |||||
体重 | 66kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
ユース | ||||||
1983-1985 | 鹿児島商業高校 | |||||
1986-1989 | 東海大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1990-1992 | 古河/ジェフユナイテッド市原 | 15 | (0) | |||
通算 | 15 | (0) | ||||
監督歴 | ||||||
1993-2018 | 鹿児島城西高校 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
小久保 悟(こくぼ さとる、1967年12月29日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはフォワード。
来歴
[編集]鹿児島商業高校では1学年上に池ノ上俊一がいる[2]。東海大学を卒業後、1990年に日本サッカーリーグの古河電気工業サッカー部に加入。JSL1部第1節の、ヤマハ発動機戦でリーグ戦デビューを果たし、この試合で初アシストを記録した[1]。1990-91シーズンにはリーグ戦通算11試合に出場したが[1]、翌1991-92シーズンは4試合の出場に留まった[3]。1992年、ジェフユナイテッド市原とプロ契約を結ぶも同年限りで退団[4]。
引退後は郷里の鹿児島に戻り、1993年に創部されたばかりの鹿児島城西高校のサッカー部の監督に就任[5]。就任7年目の2000年に高校選手権初出場、10年目の2003年にはプリンスリーグ九州で初優勝[4]。2008年には大迫勇也らを擁して2度目のプリンスリーグ九州優勝、高校選手権では準優勝に導いた[4][5]。2018年、同校のサッカー部総監督に就任した[4]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1990-91 | 古河 | 14 | JSL1部 | 11 | 0 | 5 | 1 | 1 | 0 | 17 | 1 |
1991-92 | 4 | 0 | 1 | 0 | |||||||
1992 | 市原 | - | J | - | 0 | 0 | |||||
通算 | 日本 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||
日本 | JSL1部 | 15 | 0 | 6 | 1 | 0 | 0 | ||||
総通算 | 15 | 0 | 6 | 1 |
1990-91シーズン天皇杯1回戦、京産大戦については不明
脚注
[編集]- ^ a b c d 日本サッカーリーグ 編『日本サッカーリーグ・Year book '91-'92』日本サッカーリーグ、1991年、51・94・120頁。
- ^ 全国高等学校体育連盟サッカー専門部 編『高校サッカー100年』講談社、2019年、268頁。ISBN 978-4-06-220356-2。
- ^ 「日本サッカーリーグ全史」編集委員会 編『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年、79頁。
- ^ a b c d “鹿児島城西高校サッカー部”. 学校法人 日章学園 鹿児島城西高等学校. 2020年1月23日閲覧。
- ^ a b “第16回 鹿児島城西高校 小久保悟総監督「日本代表の大迫選手は中2くらいから一気に成長」”. 高校サッカードットコム (2019年5月11日). 2020年1月23日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 小久保悟 - Transfermarkt.comによる選手データ