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小出三郎 (陸軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小出 三郎(こいで さぶろう、1875年明治8年)5月4日[1] - 没年不詳[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。旧松阪市初代市長。

経歴

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三重県出身[1][2]。1896年(明治29年)11月26日、陸軍士官学校(8期)を卒業し[1][3]、1897年(明治30年)6月28日陸軍歩兵少尉に任官された[3]中尉進級後の1902年(明治35年)8月9日陸軍大学校に入学するが、小出の属する第19期生は日露戦争期であったため1904年(明治37年)2月9日一時中退し1906年(明治39年)3月20日復校し、歩兵大尉任官を経て1907年(明治40年)11月30日卒業した[1][2][4]

1918年(大正7年)7月、歩兵大佐に進級し歩兵第53連隊長に就任[2]。1919年(大正8年)3月、歩兵第17連隊長となりシベリア出兵に参加したが、間もなく撤兵となり復員した[1][2]。1922年(大正11年)8月、陸軍少将に進級と同時に待命となり、1923年(大正12年)3月、予備役に編入された[1][2]

1926年(大正15年)11月、三重県飯南郡松阪町長に就任し、1930年(昭和5年)11月に再選され、この間、飯南郡町村会会長を務めた[5]。1933年(昭和8年)2月、松阪町の市制施行に伴い松阪市長臨時代理を務め、同年3月、旧松阪市の初代市長に就任し、1期在任して1937年(昭和12年)3月に退任した[5]

戦後、公職追放となった[6]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』295頁。
  2. ^ a b c d e 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』136頁。
  3. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』132、136頁。
  4. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、554-555頁。
  5. ^ a b 『日本の歴代市長』第2巻、639頁。
  6. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛体制協議会構成員翼壮松阪市」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、271頁。NDLJP:1276156 
  7. ^ 『官報』第4289号「叙任及辞令」1897年10月16日。
  8. ^ 『官報』第4948号「叙任及辞令」1899年12月27日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1984年。
  • 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。