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小出五郎 (衆議院議員)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小出 五郎
こいで ごろう
生年月日 1874年9月18日
出生地 岡山県真庭郡美川村(現・真庭市
没年月日 1955年2月22日(80歳没)
出身校 明治法律学校(現・明治大学
和仏法律学校(現・法政大学
所属政党 立憲政友会

衆議院議員
選挙区 岡山県郡部
当選回数 1回
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小出 五郎(こいで ごろう、1874年明治7年)9月18日[1] - 1955年昭和30年)2月22日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会)。弁護士明治大学学長を務めた小出廉二は養子[3]

経歴

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岡山県真庭郡美川村(現在の真庭市)出身。閑谷黌西毅一に学んだ後、明治法律学校(現在の明治大学)に入り、1895年(明治28年)に卒業[1]。翌年より弁護士を開業[4]。さらに1900年(明治33年)に和仏法律学校(現・法政大学)を卒業した[5]

1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。この選挙で初当選した同期に鳩山一郎濱口雄幸(ともに後の内閣総理大臣)がいる。

その他、サイトー煉瓦株式会社取締役社長、小樽木材株式会社監査役、大正電気株式会社監査役、明治大学理事などを務めた[4]

脚注

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  1. ^ a b 『人事興信録』
  2. ^ 『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』
  3. ^ 鍛冶良堅「小出先生のこと」『法律論叢』第41巻第4-5-6号、明治大学法律研究所、1968年3月25日、571-575頁。 
  4. ^ a b 『衆議院議員略歴』
  5. ^ 『法政大学校友名鑑』1941年、p.95

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。 
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。