小出英持
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小出英持 | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 宝永3年10月22日(1706年11月26日) |
死没 | 明和4年10月15日(1767年12月5日) |
改名 | 英重、英長、英智、英持 |
戒名 | 透嶺義関青雲院 |
官位 | 従五位下伊勢守、信濃守 |
幕府 | 江戸幕府 奏者番、寺社奉行、若年寄 |
主君 | 徳川吉宗、家重、家治 |
藩 | 丹波園部藩主 |
氏族 | 小出氏 |
父母 | 小出英貞、松平頼純娘八千 |
兄弟 | 英持、堀直為正室、稲垣昭賢正室 |
妻 | 板倉重泰娘 |
子 | 英常ら |
小出 英持(こいで ふさよし)は、丹波国園部藩5代藩主。吉親系小出家5代。
生涯
[編集]4代藩主・小出英貞の長男。母は松平頼純の娘。正室は板倉重泰の娘。
享保元年(1716年)閏2月28日、7代将軍徳川家継に御目見する。享保10年12月18日(1726年)、従五位下・伊勢守に叙任する。延享元年12月26日(1745年)、父の死去で跡を継ぐ。延享3年12月1日(1747年)、奏者番兼寺社奉行となる。寛延元年(1748年)7月1日、若年寄となる。
明和4年(1767年)10月15日に62歳で死去し、跡を次男の英常が継いだ。