小坂恭子 (女優)
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小坂 恭子(こさか きょうこ)は女優。
来歴
[編集]広島生まれでに生まれ60年代に東京の大学で学び、ピエール=ドミニク・ゲッソォというシネアストと知り合い、彼の映画に出演し、ゲッソォともにフランスに飛び立ったち、はゴダールやトリュフォーといった映画人と交友を持つが、アジア人である自分がパリで女優をすることに限界を感じていた。、[1]アンナ・カリーナとともにジャン=リュック・ゴダール『メイド・イン・USA』(1966)に出演した女優であり、フランソワ・トリュフォー『家庭』(1970)の「キョウコ」のモデルとなり[2]、同作でアントワーヌ・ドワネル()の家に届けられる薔薇の花に添えられているメッセージは、実際に彼女がトリュフォーへ宛てたものだったという[3]。娘はゲッソォ明子で映画監督ピエール=ドミニク・ゲッソォと小坂の娘[4]。なおピエールは「ピエール・ドミニク・ゲッソー」とも訳される[5]
日本の自主映画「私の詩集」に出演[6]。この作品は山田宏一監督作品であり[7]、トリュフォーも資金提供した短編映画である[8]。
1961年にフランソワ・トリュフォーが撮った『突然炎のごとく』に感銘を受け、トリュフォーに手紙を送りヌーヴェル・ヴァーグの作家たちと繋がる、山田宏一や吉村実子とも親交があり、ユニ・フランス・フィルムに勤務していた帰国後はモデルとしても活躍していた。[9]。
イドリサ・ギロ、メラニー・パヴィによる初監督ドキュメンタリー作品『Ashes/灰』で取り上げられ、第1回広島国際映画祭の招待作品として日本で初上映された。本作には明子とギロたちのリサーで、アメリカとスイスの映像アーカイブで見つけた、小坂出演のヌーヴエルヴァーグの映画が3本(クロード・シャンピオン『Quatre d'entre elles』(1968)、ゴダール『メイド・イン・USA』(1966)、ピエール=ドミニク・ゲッソォ『Bye Bye Butterfly』(1969))[10]流用されている[11]
出演
[編集]日本
- 私の詩集(1964年)(自主映画)
フランス
- Quatre d'entre elles 若い狼たち Kyoko (segment "16 ans-Sylvie")
- 1966Made in U.S.A メイドインUSA Doris Mizoguchi (uncredited)
- 死後に「Ashes/灰」[12]
脚注
[編集]- ^ https://ovninavi.com/788art/
- ^ “『Ashes/灰』”. Institut français du Japon. 2022年7月17日閲覧。
- ^ http://indietokyo.com/?p=1980 アンスティチュ・フランセ日本のメディア・コンテンツ文化産業部門アシスタント、映画雑誌NOBODY編集部員の楠大史の文より。
- ^ https://ovninavi.com/788art/
- ^ https://moviewalker.jp/person/61775/
- ^ 山田宏一「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」 単行本(出版社:ワイズ出版 (2010/6/1) ) – 2010/6/1
- ^ https://www.nobodymag.com/interview/melaniepavy/index1.html たとえば40年ぶりに級友である山田宏一さん(恭子さんは、彼の映像作品『私の詩』で主演を務めていました)に会ったのは、彼女が65歳のときのことです。
- ^ https://twitter.com/chocoramastudio/status/1104714591081099265
- ^ https://twitter.com/chocoramastudio/status/1104714591081099265
- ^ https://www.nobodymag.com/interview/melaniepavy/index1.html クロード・シャンピオン『Quatre d'entre elles』(1968)、ジャン=リュック・ゴダール『メイド・イン・USA』(1966)、ピエール=ドミニク・ゲッソォ『Bye Bye Butterfly』(1969)といった作品のなかに映像として残っている彼女は当時20~25歳でしたが、
- ^ https://www.villakujoyama.jp/ja/resident/ ヴィラ九条山
- ^ 重なり合う歴史/物語(Histoire)の旅へ 『Ashes/灰』−−広島、東京、パリ、ニューヨークメラニー・パヴィ監督 interview