小墓古墳
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小墓古墳 | |
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墳丘(右に前方部、左奥に後円部) | |
所属 | 杣之内古墳群 |
所在地 | 奈良県天理市杣之内町 |
位置 | 北緯34度35分15.43秒 東経135度50分38.77秒 / 北緯34.5876194度 東経135.8441028度座標: 北緯34度35分15.43秒 東経135度50分38.77秒 / 北緯34.5876194度 東経135.8441028度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長80.5m(推定復元85m以上) 高さ7.8m(後円部) |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 埴輪・木製品 |
築造時期 | 6世紀前半 |
史跡 | なし |
地図 |
小墓古墳(おばかこふん)は、奈良県天理市杣之内町にある古墳。形状は前方後円墳。杣之内古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。
概要
[編集]奈良盆地東縁、東から西に延びる丘陵の西端部に築造された古墳である。西乗鞍古墳・東乗鞍古墳などとともに杣之内古墳群のうちの一群を形成する。これまでに後円部北側が削平を受けているほか、1987年(昭和62年)・1989年(平成元年)に墳丘東側の発掘調査が実施されている[1]。
墳形は前方後円形で、前方部を南西方向に向ける。墳丘は3段築成。墳丘周囲には盾形の周濠が巡らされており、幅12-13メートルを測る[1]。周濠からは円筒埴輪(朝顔形埴輪含む)・形象埴輪(蓋形・盾形・靫形・人物形・馬形・鹿形・水鳥形・鶏形・家形埴輪など)のほか、「木製の埴輪」ともいうべき木製品(蓋形・盾形・刀形・翳形・鉾形木製品など)が多数検出されている[2][1]。埴輪のうちでは、円柱を伴う高床式建物が特筆される。そのほかには木製の槽・槌・火切臼・耳杯形容器や、柱・杭なども検出されている。埋葬施設は明らかでない。
築造時期は、古墳時代後期前半頃の6世紀前半頃と推定される[2][1]。付近では中期末葉-後期前半の古墳として西乗鞍古墳・東乗鞍古墳も知られ、これらを物部氏の首長墓とする説が挙げられている[3]。
遺跡歴
[編集]- 1893年(明治26年)の『大和國古墳墓取調書』に絵図[4]。
- 1986年(昭和61年)、測量調査(天理大学歴史研究会)[4]。
- 1987年(昭和62年)、浄水場拡張に伴う発掘調査:第1次調査(天理市教育委員会、1988年に概要報告)。
- 1989年(平成元年)、浄水場拡張に伴う発掘調査:第2次調査(天理市教育委員会、1992年に概要報告)。
墳丘
[編集]墳丘の規模は次の通り[1]。
- 墳丘長:80.5メートル(推定復元85メートル以上)
- 後円部 - 3段築成。
- 高さ:7.8メートル
- 前方部 - 3段築成。
- 幅:46メートル[2]
- 高さ:6.1メートル
-
盾持人埴輪
唐古・鍵考古学ミュージアム企画展示時に撮影。 -
人物(男性)・甲冑・猪埴輪
唐古・鍵考古学ミュージアム企画展示時に撮影。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(天理市教育委員会、2009年設置)
- 地方自治体発行
- 「小墓古墳」『天理市の文化財』天理市教育委員会、1990年。
- 「小墓古墳」『天理の古墳100』天理市教育委員会、2015年。
- 事典類
- 泉武「小墓古墳」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
- その他
- 石田大輔「小墓古墳の検討」『杣之内古墳群の研究』 1巻、杣之内古墳群研究会、2014年3月。 NCID BB15553252。全国書誌番号:22415717 。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 泉武、松本洋明『天理市埋蔵文化財調査概報』 昭和61・62年度、天理市教育委員会、1988年3月30日。doi:10.24484/sitereports.750。 NCID BN03007089 。
- 天理市教育委員会『天理市埋蔵文化財調査概報』 昭和63・平成元年度、天理市教育委員会、1992年3月30日。doi:10.24484/sitereports.740。 NCID BN03007089 。
- 石田大輔、日野宏、藤原郁代『物部氏の古墳 杣之内古墳群』天理市教育委員会、2021年7月14日。doi:10.24484/sitereports.94674。 NCID BC09207458 。