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東乗鞍古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東乗鞍古墳

墳丘
(右に後円部・石室開口部、左奥に前方部)
所属 杣之内古墳群
所在地 奈良県天理市杣之内町字東乗鞍・乙木町字北山[1]
位置 北緯34度35分6.70秒 東経135度50分50.53秒 / 北緯34.5851944度 東経135.8473694度 / 34.5851944; 135.8473694座標: 北緯34度35分6.70秒 東経135度50分50.53秒 / 北緯34.5851944度 東経135.8473694度 / 34.5851944; 135.8473694
形状 前方後円墳
規模 墳丘長83m
埋葬施設 片袖式横穴式石室
(内部に刳抜式家形石棺1基・組合式石棺1基)
出土品 埴輪、(伝)挂甲・馬具
築造時期 6世紀前半
史跡 なし
地図
東乗鞍古墳の位置(奈良県内)
東乗鞍古墳
東乗鞍古墳
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東乗鞍古墳(ひがしのりくらこふん)は、奈良県天理市杣之内町・乙木町にある古墳。形状は前方後円墳杣之内古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。

概要

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奈良盆地東縁、東から西に延びる丘陵尾根上に築造された古墳である。西乗鞍古墳小墓古墳などとともに杣之内古墳群のうちの一群を形成する。これまでに数次の発掘調査が実施されている。

墳形は前方部が大きく発達した前方後円形で、前方部を西北西方向に向ける。墳丘は2段築成[2]。墳丘長はかつて75メートルとされたが[3][2]、近年の発掘調査により83メートルと修正されている[4]。墳丘外表では円筒埴輪片が検出されているほか、前方部西側では幅約10メートル・深さ約2メートルの周濠が認められる[2]。埋葬施設は後円部における右片袖式の横穴式石室で、巨石を用いた石室全長14.6メートルを測る大型石室であり[5]、南方向に開口する。玄室内には阿蘇溶結凝灰岩阿蘇ピンク石/馬門石)製の刳抜式家形石棺1基と二上山白色凝灰岩製の組合式家形石棺1基が据えられる[2]。石室内は盗掘に遭っており、副葬品として挂甲小札や馬具杏葉が出土したといわれるが、現在では所在不明である[2]

築造時期は、古墳時代後期前半の6世紀前半頃と推定される[2]。付近では中期末-後期前半の古墳として西乗鞍古墳・小墓古墳も知られ、これらを物部氏の首長墓とする説が挙げられている[6]

遺跡歴

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埋葬施設

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埋葬施設としては後円部において右片袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[8][5]

  • 石室全長:14.6メートル
  • 玄室:長さ約7.6メートル、幅約2.4メートル、現在高さ約3.3メートル
  • 羨道:長さ約7メートル、幅1.7メートル、現在高さ1.5メートル

石室は花崗岩の自然石の巨石が使用された大型石室になる。奥壁は3段積みである。

玄室内には、奥壁寄りに阿蘇溶結凝灰岩(阿蘇ピンク石/馬門石)製の刳抜式家形石棺1基が、羨道寄りに二上山白色凝灰岩製の組合式石棺1基が据えられる。刳抜式家形石棺は、蓋石上面の平坦面が狭いという比較的古式の石棺になり、蓋石には縄掛突起が造り出される。組合式石棺は底石のみが遺存する。

この石室は盗掘に遭っているが、記録によれば、かつて挂甲の小札や馬具の杏葉などが出土したという(現在は所在不明)[8][2]

脚注

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参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 地方自治体発行
    • 「東乗鞍古墳」『天理市の文化財』天理市教育委員会、1990年。 
    • 「東乗鞍古墳」『天理の古墳100』天理市教育委員会、2015年。 
  • 事典類
    • 「東乗鞍古墳」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301 
      • 刊行後版(ジャパンナレッジ収録)、2006年
    • 原田道雄「東乗鞍古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
  • その他
    • 山内紀嗣「西乗鞍古墳と東乗鞍古墳」『杣之内古墳群の研究』杣之内古墳群研究会、2014年。  - リンクは天理大学学術情報リポジトリ。

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

関連項目

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外部リンク

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