コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

小山威雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小山威雄
こやま たけお
生年月日 1905年7月1日
出生地 日本の旗 日本 長野県北佐久郡小諸町
(現・長野県小諸市
没年月日 (1981-08-24) 1981年8月24日(76歳没)
出身校 旧制青山学院専門部商科修了
前職 計理士

当選回数 1回
在任期間 1972年4月19日 - 1976年4月18日


小諸市議会議員
当選回数 2回
在任期間 1963年 - 1971年
テンプレートを表示

小山 威雄(こやま たけお、1905年明治38年)7月1日[1][2] - 1981年昭和56年)8月24日[3])は、日本の実業家政治家長野県小諸市長。

来歴

[編集]

長野県北佐久郡小諸町[4](現小諸市)で、小山重右衛門、婦美野の息子として生まれた[1]。旧制小諸商業学校(現長野県小諸商業高等学校)を経て[1][4]旧制青山学院専門部商科修了[1][2][4]。1930年(昭和5年)丸五商店に入社し[1][4]、丸五商会に改組し代表取締役となる[1][4]。1944年(昭和19年)計理士を開業[1]。1947年(昭和22年)小諸商工会議所会頭となる[1][4]。1951年(昭和26年)長野県商工信用組合監事に就任した[1][4]

1953年(昭和28年)小諸市教育委員[1]、1963年(昭和38年)小諸市議会議員となり[1]1971年(昭和46年)まで2期在任し、同議長も務めた[1][2][4]。1972年(昭和47年)4月、小諸市長選挙で当選し、1976年(昭和51年)4月まで1期務めた[1][2][4]。在任中は主に福祉政策に力を入れた[2]。その他、長野県水道協会理事、全国国鉄自動車協力会副会長などを歴任した[1]

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『長野県人名鑑』222頁。
  2. ^ a b c d e 『日本の歴代市長 第2巻』280頁。
  3. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、522頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 『長野県歴史人物大事典』310頁。

参考文献

[編集]
  • 『長野県人名鑑』信濃毎日新聞社、1974年。
  • 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
  • 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
  • 『小山威雄追悼遺稿集』鬼灯書籍、1982年。