コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

小山忠雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小山忠雄

小山 忠雄(おやま[1] / こやま[2] ただお、慶応3年2月15日[3]1867年3月20日) - 昭和17年(1942年2月16日[4])は、日本教育者。号は自得

経歴

[編集]

出羽国平鹿郡横手(現在の秋田県横手市)出身[1]東京に遊学して、共立学校英学漢学を学んだ[1]1889年明治22年)、秋田県師範学校を卒業して、小学校訓導を務めた[1]。その後、東京高等師範学校文科に入り、1893年(明治26年)に卒業した[1]。秋田県師範学校教諭、同附属小学校主事、青森県師範学校教諭を務めた[3]1902年(明治35年)、秋田県立横手中学校校長に就任し、翌年に秋田県立大館中学校校長に転じた[3]1907年(明治40年)、秋田師範学校校長となり、1912年(明治45年)に北海道札幌師範学校校長に転じた[3]1920年大正9年)から関東庁中学校校長を務め、1922年(大正11年)に退官した[2]。その後、北海道庁嘱託として、北海道自治講習所所長・北海道産業講習所所長を務めた[2]

著書

[編集]
  • 『理論実験 読書作文教授法』(東海林書店、1898年)
  • 『新説学校管理法』(同文館、1899年)
  • 『新教授学』(同文館、1901年)
  • 『修正学校管理法』(同文館、1903年) 槙山栄次と共著
  • 『我観随筆』(小山忠雄先生還暦記念図書刊行会、1927年)
  • 『晴嵐』(秋田県教育会、1929年)
  • 『教育勅語と国民精神』((北海出版社、1931年)

脚注

[編集]

参考文献

[編集]
  • 金子信尚編『北海道人名辞書』北海民論社、1923年。 
  • 鈴木源十郎編『札幌之人』1915年。 
  • 金子郡平・高野隆之編『北海道人名辞書』北海道人名辞書編纂事務所、1914年。 
  • 秋田魁新報社 編『秋田人名大事典』(第2版)秋田魁新報社、2000年。 
公職
先代
勝浦鞆雄
日本の旗 旅順中学校長
1920年 - 1922年
次代
藤井専隨
先代
北海道師範学校長
星菊太
北海道札幌師範学校長
1914年 - 1920年
北海道師範学校長
1912年 - 1914年
次代
江口照造
先代
保田銓次郎
秋田県師範学校長
1907年 - 1912年
次代
山本宗太郎
先代
(新設)
秋田県女子師範学校長
1909年
次代
樋泉慶次郎
先代
三宅直温
秋田県立大館中学校
1903年 - 1907年
次代
遣沢恒猪
先代
関藤成緒
秋田県立横手中学校
1902年 - 1903年
次代
加賀谷定治