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槙山栄次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
槙山 栄次
誕生 (1867-05-17) 1867年5月17日慶応3年4月14日
出羽国米沢(現・山形県米沢市
死没 (1933-06-12) 1933年6月12日(66歳没)
奈良県奈良市佐保川町
職業 教育者官吏
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 高等師範学校文学科
代表作 『教授の段階に関する研究』(1905年)
『教育教授の新潮』(1908年)
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槙山 栄次(まきやま えいじ、1867年5月17日慶応3年4月14日[1]) - 1933年昭和8年)6月12日[2])は、明治時代から昭和初期にかけての日本教育者文部官僚

経歴

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出羽国米沢(現在の山形県米沢市)出身。山形県師範学校を経て、1891年(明治24年)に東京高等師範学校文学科を卒業。秋田尋常師範学校教諭、東京高等師範学校助教諭・書記、文部属、宮崎県尋常中学校教諭、山形尋常師範学校校長、北海道師範学校校長、東京女子高等師範学校教授を歴任。1905年(明治38年)、ドイツアメリカ合衆国に留学。帰国後、文部省視学官、東京女子高等師範学校教授、文部省督学官を務めた。1919年大正8年)、奈良女子高等師範学校校長に就任した。

著作

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槙山栄次
槙山栄次
  • 「余が在学したる当時の高等師範学校」(『教育』第344号、茗渓会、1911年10月)
  • 「初等教育の実際 : 森氏時代よりヘルバルト全盛頃迄」(国民教育奨励会編纂 『教育五十年史』 民友社、1922年10月 / 国書刊行会〈明治教育古典叢書〉、1981年4月 / 日本図書センター、1982年1月)
  • 「ピューピル・チーチャー : 学校時代の思出(その十二)」(『帝国教育』第611号、帝国教育会、1932年10月)
  • 『百年前の留学記』 新風舎、2005年8月、ISBN 4797470658
著書

出典

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  1. ^ 大衆人事録 1930.
  2. ^ 『官報』第1944号、昭和8年6月26日。

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 

関連文献

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  • 大日本学術協会編修 『日本現代教育学大系 第十一巻 槙山栄次氏教育学 松濤泰巌氏教育学 佐藤熊次郎氏教育学 土田杏村氏教育学モナス、1928年2月 / 日本図書センター、1989年11月、ISBN 4820584758
  • 菊山静編輯 『槙山栄次先生記念佐保会、1933年11月
  • 槇山次郎 「父、槇山栄次の想い出」(『近代国語教育論大系 第2巻付録』 光村図書出版、1975年11月)
  • 唐沢富太郎 「槇山栄次 : 教育学者として師範教育に尽くす」(唐沢富太郎編著 『図説 教育人物事典 : 日本教育史のなかの教育者群像 上巻』 ぎょうせい、1984年4月)
  • 山田昇 「槇山榮次の教育学のこと : 教育の理論と実践の関係についての視点」(『学習研究』第290号、学習研究会、1984年8月、NAID 110008699666
  • 「シュミーダー作文教材組織論の移入」(前田眞證著 『ドイツ作文教育受容史の研究 : シュミーダー説の摂取と活用 上巻』 溪水社、2011年12月、ISBN 9784863271500

外部リンク

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公職
先代
篠田利英
日本の旗 東京女子高等師範学校附属高等女学校主事
1913年 - 1917年
次代
小林照朗
先代
高浦丈雄
日本の旗 東京女子高等師範学校附属小学校主事
1908年
女子高等師範学校附属小学校主事
1902年 - 1908年
次代
黒田定治
先代
岡本常次郎
北海道師範学校長
1900年 - 1902年
次代
安達常正
先代
秋田県尋常師範学校長
生駒恭人
秋田県師範学校長
1898年 - 1900年
秋田県尋常師範学校長
1897年 - 1898年
校長心得
1897年
次代
保田銓次郎