小山恒三
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 長野県 |
生年月日 | 1933年12月20日 |
没年月日 | 2018年1月31日(84歳没) |
身長 体重 |
174 cm 71 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1952年 |
初出場 | 1952年10月10日 |
最終出場 | 1953年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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小山 恒三(こやま つねぞう、1933年12月20日 - 2018年1月31日[1])は、長野県出身のプロ野球選手(投手)。
経歴
[編集]長野県小諸実業高等学校から東京鉄道管理局を経て、1952年に国鉄スワローズに入団。同年10月10日の対松竹ロビンス戦(西京極球場)に先発投手として一軍公式戦へのデビューを果たすと、完封で初勝利を挙げた[2][2]。「スワローズの新人投手による一軍公式戦初登板での先発完封勝利」は球団史上初の快挙だが、小山に続く達成者は、東京ヤクルトスワローズ時代の2024年5月15日に松本健吾(トヨタ自動車出身の右投手)が対広島東洋カープ戦(松山坊っちゃんスタジアム)で記録するまで72年間現れなかった[3]。
カーブやドロップなどの変化球を駆使していたものの、プロ野球投手としての実働年数はわずか2年で、1953年に現役を引退。一軍公式戦での白星も、初登板での1勝だけにとどまった。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1952 | 国鉄 | 2 | 2 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1 | -- | -- | .500 | 43 | 12 | 3 | 0 | 4 | -- | 1 | 6 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0.75 | 0.58 |
1953 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 36 | 8 | 6 | 0 | 6 | -- | 0 | 5 | 0 | 0 | 3 | 3 | 3.38 | 1.50 | |
通算:2年 | 5 | 2 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1 | -- | -- | .500 | 79 | 20 | 9 | 0 | 10 | -- | 1 | 11 | 0 | 0 | 5 | 4 | 1.80 | 0.95 |
背番号
[編集]- 29 (1952年 - 1953年)
参考文献
[編集]- 日本野球機構 『日本プロ野球記録大百科 2004』 ベースボールマガジン社、1800頁。
脚注
[編集]- ^ “OB NEWS Vol.77” (PDF). 公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ) (2018年3月). 2020年6月21日閲覧。
- ^ a b 宇佐美徹也 『プロ野球記録大鑑』 講談社、1976年、479頁。
- ^ “【データ】初登板初完封松本健吾、ヤクルト新人では72年ぶり2人目 2桁K&無四死球は史上初”. 日刊スポーツ. (2024年5月15日) 2024年5月23日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 小山恒三 - NPB.jp 日本野球機構