小川博 (内野手)
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県 |
生年月日 | 1940年1月25日(84歳) |
身長 体重 |
174 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 二塁手 |
プロ入り | 1962年 |
初出場 | 1963年5月7日 |
最終出場 | 1965年9月11日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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小川 博(おがわ ひろし、1940年1月25日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(内野手)。
来歴・人物
[編集]法政二高では、延藤謙吉(三重交通)、青木武文(駒大)の両エースを擁し、二塁手、三番打者[1]として1957年夏の甲子園に出場。決勝に進むが広島商に敗れ、準優勝にとどまる[2]。他のチームメイトには三塁手、主に六番打者[1]の河東真(のち巨人)がいる。
卒業後は法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中4回の優勝を経験。1960年春季リーグ(大学3年時)の優勝に貢献、直後の全日本大学野球選手権大会でも、決勝で同志社大を破り優勝した。翌1961年秋季リーグ(大学4年時)では36打数15安打 、打率.417で首位打者のタイトルを獲得、ベストナイン(二塁手)にも選出されている[3][4][5]。大学時代のチームメイトに新山彰忠、樋口正蔵(共にのち南海)、室山皓之助(のち阪神)がいる。
1962年に阪急ブレーブスに入団。1963年9月には二塁手として6試合に先発出場するものの、その後は出場機会に恵まれず、1965年限りで現役を引退した。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1963 | 阪急 | 18 | 29 | 27 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 6 | 0 | .111 | .172 | .111 | .283 |
1965 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:2年 | 20 | 31 | 29 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 7 | 0 | .103 | .161 | .103 | .264 |
背番号
[編集]- 1 (1962年)
- 43 (1963年 - 1965年)
脚注
[編集]- ^ a b 法政二高野球部の歴史【神奈川高校野球資料館特別資料室17】
- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- ^ 首位打者 - 東京六大学野球連盟
- ^ 法政大学野球部年表法政大学野球部公式サイト
- ^ リーグ戦記録集法政大学野球部公式サイト
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 小川博 - NPB.jp 日本野球機構