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小川竹二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小川 竹二(おがわ たけじ、1937年昭和12年)6月17日[1] - 2014年平成26年)2月18日[2])は、日本政治家。元新潟県豊栄市(現・新潟市(5期)。

来歴

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新潟県北蒲原郡葛塚町(現・新潟市北区葛塚)出身[1][2][3]。葛塚町立葛塚中学校(現・新潟市立葛塚中学校)、新潟県立新発田高等学校を経て、1960年立命館大学経済学部[1][3]。卒業後は帰郷し、農業に従事した[1]1966年下越水害で被災。1971年、豊栄市議会議員に当選し、4期務める[1]1987年、豊栄市長に当選し、2005年に新潟市に合併するまで5期務めた[1]。新潟県市長会長、北信越市長会長、全国市長会副会長を歴任した[3]2002年に新潟市長選挙に立候補した篠田昭を支援した[4]2007年旭日中綬章受章。2014年、前立腺癌で死去[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』118頁。
  2. ^ a b c 小川竹二が下越水害の時に遺した格言(新潟県豊栄市長)[今週の防災格言507]”. 防災意識を育てるWEBマガジン「思則有備(しそくゆうび)」. 2022年3月10日閲覧。
  3. ^ a b c 株式会社ローソンエンタテインメント. “小川竹二|プロフィール|HMV&BOOKS online”. HMV&BOOKS online. 2022年3月10日閲覧。
  4. ^ 「地域内分権」掲げ政令指定都市、15年後の新潟市は今:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2022年9月11日). 2022年9月14日閲覧。

参考文献

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