小川金治
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小川 金治(おがわ きんじ、慶応3年(1867年)1月 - 没年不明)は日本の実業家。達摩山(株)取締、富士見銀行専務、朝鮮企業取締[1]。長野県平民[2]。
信濃国諏訪郡御射山神戸村(現・富士見町)に生まれる。明治10年(1877年)分家して一家を創立す[2]。
父は呉服商人・小川金蔵。弟は司法大臣、鉄道大臣等を歴任した小川平吉。息子は富士機工取締役小川一郎、医学博士・慶応堂病院長小川三郎など。
家族
[編集]- 妻・まち(長野県、矢島重蔵の二女[2])
- 長男・一郎(元富士機工 取締役)
- 長女・えい(長野県、細川鳥角の長男で郷土史研究家・隼人の妻)
- 二男・三郎(元慶応堂病院 院長)
- 二女・たつ(長野県士族・細川直行の長男・玖琅に嫁す[2])
- 三男・四郎
- 三女・あき(長野県、中山秀樹に嫁す[2])
- 四男・五郎
- 四女・まつ
- 五女・はな
文献
[編集]- 猪野三郎監修『第十二版 大衆人事録』(昭和13年)長野二頁