小早川常雄
小早川 常雄(こばやかわ ときお、1879年(明治12年)7月21日 - 1970年(昭和45年)2月)は、日本の実業家。京三製作所創業者[1]。
来歴・人物
[編集]広島県賀茂郡出身[2]。1906年(明治39年)東京帝国大学工科大学電気工学科卒業後[2]、川越電気鉄道技師長を経て[2]、1907年(明治40年)芝浦製作所(現・東芝)入社[1]。技術部・商務部各副部長を務めた後、1918年(大正7年)独立し、東京電機工業を創業[1]。会社事務所を当時の東京市京橋区の三十間掘に置いたことから、"京橋"と"三十間掘"から一字ずつとって「京三商会」(現・京三製作所)と名付けた[1]。
当初は水力・火力発電所や電気鉄道の計画・設計・工事の請負や出願書類の作成、これらに関わる機械器具類の製造販売を手掛けていたが、その後鉄道信号機の製造を始めた[1][3]。第一次世界大戦後の不況で中小企業の整理が続出すると、逓信省電気試験所の鳥潟右一から、東京電機工業、東京帝国大学工科大学教授・鯨井恒太郎より日本電気応用の整理を委嘱された[1]。1926年(昭和元年)京三製作所に社名を変更。以降は信号機製作のパイオニアとして同社を育てた[1][3]。
工手学校(現・工学院大学)で教鞭を執っていた時期があり、白石兄弟商会(現・白石工業)[4]創業者・白石恒二が教え子だった縁で、「京三商会」を設立した1918年に白石工業の取締役に迎えられ、同社会長なども兼任し、日本の石灰(炭酸カルシウム)製造の発展にも貢献している[2]。
1940年(昭和15年)京三製作所会長、1944年(昭和19年)同相談役に退く[2]。
1940年(昭和15年)運輸大臣賞、1960年(昭和35年)藍綬褒章、1964年(昭和39年)勲四等旭日小綬章授与[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本の創業者 近現代起業家人名事典』日外アソシエーツ、2010年。
- 『新日本人物大観広島県版』人事調査通信社広島支局、1959年。