小早川欣吾
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小早川 欣吾(こばやかわ きんご、1900年6月16日 - 1944年6月15日[1])は、日本の法学者(法制史)。元京都帝国大学法学部教授。兵庫県神戸市生まれ。
来歴
[編集]立命館中学校を卒業[2]し、1922年山口高等学校に入学[3][4]。1925年に同校を卒業[5]し、京都帝国大学法学部法律学科に入学[6]。1929年3月に卒業[7]し、翌月、日本法制史の研究のため、大学院に進学[8]。1934年、同大学助教授に就任[9]。同志社大学講師も務める。その後、1944年教授に任じられ[10][11]、また人文科学研究所員に補される[12]。
日本法制史の担当[11][13]であったが、東洋法制史の講義を担当した[14]。 没後の1944年12月、蔵書が「小早川文庫」として京都帝国大学法学部に受け入れられた[15][16]。
主な著作
[編集]- 『日本担保法史序説』(宝文館、1933年)
- 『明治法制史論公法之部 上巻』(巌松堂書店、1940年)NDLJP:1048557
- 『日本近世民事裁判手続の研究』(日本法理研究会、1942年)
- 『明治法制史論公法之部 下巻(訂正再版)』(巌松堂書店、1944年)NDLJP:1281252
- 『続明治法制叢考』(山口書店、1944年)
- 『明治法制叢考』(京都印書館、1945年)
- 『近世民事訴訟制度の研究』(有斐閣、1957年)
- 『日本担保法史序説(改版復刊)』(法政大学出版局、1979年)
- 『(増補)近世民事訴訟制度の研究』(名著普及会、1988年)
- 『小早川欣吾先生東洋法制史論集』(常盤印書館、1996年)
脚注
[編集]- ^ 『朝日新聞』1944年6月16日、p.3.
- ^ 立命館 編『立命館要覧 〔昭和2年 大学部・中学部・高等予備校〕』立命館大学出版部、1927年6月25日、140頁。NDLJP:1280811/78。
- ^ 『官報』第2900号、大正11年4月6日、p.151. NDLJP:2955017/8
- ^ 山口高等学校 編『山口高等学校一覧 自大正11至大正12年』山口高等学校、1922年12月10日。NDLJP:940421/94。
- ^ 『官報』第3782号、大正14年4月4日、p.98. NDLJP:2955930/8
- ^ 『官報』第3830号、大正14年6月1日、p.7. NDLJP:2955978/4
- ^ 『官報』第693号、昭和4年4月24日、p.661.NDLJP:2957159/7
- ^ 『官報』第695号、昭和4年4月26日、p.714. NDLJP:2957161/41
- ^ 『官報』第2173号、昭和9年4月2日、p.46. NDLJP:2958648/24
- ^ 『官報』第5197号、昭和19年5月15日、p.233. NDLJP:2955930/3
- ^ a b 内閣 (1944年5月13日). “「京都帝国大学助教授小早川欣吾外三名任官ノ件」『任免裁可書・昭和十九年・任免巻百十七』”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 国立公文書館. 2023年3月17日閲覧。
- ^ 『官報』第5206号、昭和19年5月25日、p.407. NDLJP:2961708/6
- ^ 『京都帝国大学一覧 昭和9年度』京都帝国大学、1934年11月30日、215頁。NDLJP:1447092/115。
- ^ 牧健二「跋」1978年。(小早川欣吾『日本担保法史序説』法政大学出版局〈叢書・歴史学研究〉、1979年、469-478頁。 NCID BN01907613。)
- ^ 福島徳寿郎「序言」『小早川文庫目録』京都大学法学部、1978年。 NCID BN01098640。
- ^ 『京都大学附属図書館六十年史』京都大学附属図書館、1961年、86頁。 NCID BN01059321。
関連項目
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