小曽根星海
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小曽根 星海(こぞね せいかい、嘉永4年(1851年)5月 – 明治37年(1904年)6月5日)は、明治時代の実業家・書家・篆刻家である。
略伝
[編集]小曽根乾堂の嫡男。幼少より家庭にて英才教育を受け、13歳のときに父・乾堂と越前に赴き、松平春嶽に謁見。17歳のときに中国上海に渡って雑貨を商い、1年後に長崎に帰る。明治18年の乾堂没後は小曽根家第14代当主となり、精力的な事業活動を行う。汽船業、鉄工所・製陶所の起業、山野の開墾・海浜の埋め立てなどの土木事業、百個以上の家屋の改築工事などである。このうちの製陶所は亀山焼の再興という父・乾堂の遺志を引き継ぎ、邸内に窯を開いたことが始まりで明治24年から同32年まで続いた。
長崎の富豪となって市議会議員・県議会議員に選出され、赤十字社特別社員にもなった。貧困救済や育英事業に惜しみなく寄付をしたが、とりわけ小曽根小学校の発展に尽力した。また、有志を募って浪平神社の山腹を拓いて遊園地とした。
明治37年に死去。享年54。墓所は浪の平町の太平寺。
参考文献
[編集]- 小曽根均治郎 『小曽根乾堂居士五十年祭小曽根星海居士三十年祭記録』 (私家本、1934年)
- 神野雄二 『日本印人研究―小曽根乾堂の生涯とその系譜』 (熊本大学、2006年)
- 小曽根育代 『小曽根乾堂 謎解きの旅―幕末明治を刻した長崎人』 (長崎新聞社、2015年)