小松多喜雄
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小松 多喜雄(こまつ たきお、1909年(明治42年)3月20日[1] - 1982年(昭和57年)8月4日[2])は、昭和期の実業家、政治家。塩尻市長(初代)。
経歴
[編集]長野県東筑摩郡塩尻村[3](塩尻町を経て現塩尻市)で生まれた。1922年(大正11年)旧制松本商業学校5年次中途退学[1]。家業の運送業に従事[1]。1928年(昭和3年)から鉄道小運送業に従事(美勢運送合資会社勤務)し、1941年(昭和16年)から貨物自動車業を営む(塩尻陸運取締役)[1][3]。1944年(昭和19年)5月、中信興業代表取締役に就任[1]。1946年(昭和21年)に小松組(信州急送などを経て現信州名鉄運輸)を創業し、長野県内におけるトラック運送業の先駆けとなる[1][3]。
1942年(昭和17年)5月、塩尻町会議員に選出され[1]、1952年(昭和27年)塩尻町教育委員、塩尻町消防団長を務め[1]、1955年(昭和30年)2月に塩尻町長に当選[1][3]。昭和の大合併では周辺4ヶ村との合併を推進し、1959年(昭和34年)4月に初代塩尻市長に就任[1]。1967年(昭和42年)4月に退任するまで2期務めた[1][3]。在任中は小中学校の統廃合、塩尻市営球場、塩尻市民会館の建設に着手した[1]。
1968年(昭和43年)7月、美勢タクシー代表取締役会長となり[1][3]、1969年(昭和44年)からは塩尻商工会議所会頭に就任した[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。