花村政温
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花村 政温(はなむら まさはる、1903年(明治36年)7月22日[1] - 1978年(昭和53年)8月20日[1])は、日本の農業技術者、政治家。長野県東筑摩郡宗賀村長(3期)、長野県塩尻市議会議員、長野県塩尻市長(第3代、2期)を歴任した。
経歴
[編集]長野県東筑摩郡宗賀村本山[2](現・塩尻市)生まれ。1920年(大正9年)3月、東筑摩郡立農学校を卒業[1]。小学校代用教員[2]、村立宗賀実業補習学校助教諭[1]を務めた後、1932年(昭和7年)に穀物検査員として長野県庁に勤務し、同県農産物検査技術補、農産物検査監督員、食糧検査所支所長などを務め[1]、後に食糧事務所長となる[2]。1945年(昭和20年)の終戦後は、GHQ軍政部と折衝して、長野県内の窮迫した食糧事情の好転に一役買った[2]。
1947年(昭和22年)4月に退官して宗賀村長に就任し1959年(昭和34年)3月まで3期務め[1]、1950年からは平出遺跡発掘調査会長として大事業を成し遂げた[2]。塩尻市発足後、1959年4月に塩尻市議会議員となり[1][2]、1971年(昭和46年)4月に市長に当選し、環境センターの建設、勤労青少年ホーム、社会福祉センター、し尿処理場などの建設にあたったが、2期目の在任中に急死した[1][2]。享年75。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。