小松山与三松
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小松山 与三松(こまつやま よさまつ、慶応3年12月14日(1868年1月8日) - 大正6年(1917年)5月17日)は、加賀国能美郡(現在の石川県小松市)出身で八角部屋に所属した大相撲力士。本名は本田 与三松(ほんだ よさまつ、旧姓:太田)。身長175cm、体重90kg。最高位は西前頭2枚目。養女の夫は元小結鶴ヶ濱(13代玉垣)。
来歴
[編集]1889年1月幕下附出しで初土俵。1893年1月十両昇進、1893年5月入幕。粘り強い足腰を生かして吊るか打っ棄る取り口。1897年5月横綱小錦を破り、1898年5月にも小錦と預かりの相撲をとる。朝汐に強く、1896年1月、1902年1月に引分、1901年1月、1903年1月に勝利している。幕内12年、23場所務め1904年5月引退し、年寄浦風に。勝負検査役を務め浦風部屋を再興し、浦ノ濱らを育てるも1917年5月大動脈瘤破裂で死去、49歳没。
略歴
[編集]主な成績
[編集]参考資料
[編集]- 横浜新報著作部 編『当世力士銘々伝』小松山与三松,横浜新報社,明36.2. 国立国会図書館デジタルコレクション
- 月刊相撲 2007年11,12月号 『年寄名跡の代々 浦風の巻』 ベースボールマガジン社発行