小松直治
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小松直治 こまつ なおじ | |
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生年月日 | 1897年8月29日 |
出生地 |
日本 長野県諏訪郡上諏訪町 (現長野県諏訪市) |
没年月日 | 1985年 |
出身校 |
東京高等商業学校専攻科卒業 (現一橋大学) |
称号 |
勲四等瑞宝章 藍綬褒章 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1955年5月1日 - 1963年4月30日 |
第39代 長野県議会副議長 | |
在任期間 | 1951年5月 - 1953年4月 |
在任期間 | 1947年5月 - 1949年3月 |
在任期間 | 1939年 - 1955年 |
上諏訪町会議員 | |
在任期間 | 1928年 - 1939年 |
小松 直治(こまつ なおじ、1897年(明治30年)8月29日[1][2] - 1985年(昭和60年)[3])は、日本の政治家。長野県諏訪市長。
来歴
[編集]長野県諏訪郡上諏訪町[3](現諏訪市)で、小松直助、ゑひ の長男として生まれた[1][2]。旧制諏訪中学(現長野県諏訪清陵高等学校)を経て[1][3]、1919年(大正8年)東京高等商業学校専攻科を卒業した[2]。
1928年(昭和3年)上諏訪町会議員(3期)に選出され、1929年(昭和4年)同町名誉職助役(3期)に就任[1][3]。1939年(昭和14年)長野県会議員(4期)となり[3]、1947年(昭和22年)から昭和24年(1949年)までと、1951年(昭和26年)から同28年(1953年)まで副議長を務めた[4]。
1955年(昭和30年)に諏訪市長選挙に当選し、1963年(昭和38年)4月まで2期務めた[1][2][3]。在任中は財政の健全化、上水道の整備などを手掛けた[2]。また諏訪市社会福祉協議会長、右派社会党長野県連合会副委員長、長野県治山協会長なども歴任した[1][2][3]。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『長野県人名鑑』信濃毎日新聞社、1974年。
- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。