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藤森清一朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤森 清一朗
Rear Admiral Seiichiro Fujimori
藤森清一朗少将
生誕 1888年11月10日
日本の旗 日本長野県
死没 (1975-05-20) 1975年5月20日(86歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1909年 - 1942年
最終階級 海軍少将
除隊後 諏訪市長
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藤森 清一朗(ふじもり せいいちろう、1888年明治21年)11月10日[1] - 1975年昭和50年)5月20日[2])は、日本の海軍軍人海兵37期海大甲種19期大日本帝国海軍第十戦隊司令官、呉警備戦隊司令官、横須賀警備戦隊司令官、駐満海軍部参謀長、満洲国大使館附武官、北京在勤武官。最終階級は海軍少将諏訪市長従四位勲二等功三級

経歴

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長野県出身[2]長野県立諏訪中学校第四学年で中退し、1906年11月、海軍兵学校37期)に入学[1]1909年11月、兵学校を卒業し、1910年12月、海軍少尉任官[2]

以後、海軍砲術学校普通科学生、海軍水雷学校普通科学生、海軍大学校乙種学生、水雷学校高等科学生として研鑽を積み、1919年12月から1921年11月まで海軍大学校(甲種19期)で学んだ[2][3]。同年12月、海軍少佐に昇進し呉防備隊分隊長に就任。以後、駆逐艦長、皇族附武官(博忠王附)、金剛水雷長、第二艦隊参謀軍令部参謀、資源局事務官、伊勢副長、間宮特務艦長などを歴任し、1930年12月、海軍大佐に昇進[2][4]。さらに、朝日特務艦長、平戸艦長、駐満海軍部参謀長、兼在満州国大使館附武官磐手艦長、横須賀防備隊司令などを経て、1936年12月、海軍少将に昇進し呉防備戦隊司令官に就任した[2][4]。以後、第十戦隊司令官、呉鎮守府出仕、軍令部出仕、北京在勤武官などを務め、1940年3月15日に待命、同月21日予備役編入となった[2][4][5]

1941年9月に充員召集され、太平洋戦争では、呉警備戦隊司令官、横須賀警備戦隊司令官、第7海軍根拠地隊司令官、父島方面特別根拠地隊司令官として各地を転戦し、軍令部出仕を経て、1942年12月、充員召集が解除された[2][4][5]

1943年7月19日、諏訪市長に就任し、戦時下の対応に尽力し、1945年7月10日に市長を退任した[6]。その後公職追放となった[7]

年譜

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  • 1909年(明治42年)- 海軍兵学校(37期)卒業
  • 1921年(大正10年)
    • 11月 - 海軍大学校(甲種学生19期)卒業
    • 12月1日 - 海軍少佐
  • 1922年(大正11年)7月20日 - 駆逐艦長
  • 1924年(大正13年)12月1日 - 金剛水雷長
  • 1925年(大正14年)11月10日 - 第二艦隊参謀
  • 1926年(大正15年)
    • 11月1日 - 軍令部参謀(第2班第3課)
    • 12月1日 - 海軍中佐
  • 1929年(昭和4年)11月30日 - 伊勢副長
  • 1930年(昭和5年)
    • 11月15日 - 間宮特務艦長
    • 12月1日 - 海軍大佐
  • 1931年(昭和6年)12月1日 - 朝日特務艦長
  • 1932年(昭和7年)5月10日 - 平戸艦長
  • 1933年(昭和8年)
    • 4月1日 - 駐満海軍部参謀長
    • 4月25日 - 兼在満洲国大使館附武官
  • 1934年(昭和9年)9月1日 - 磐手艦長
  • 1935年(昭和10年)11月15日 - 横須賀防備隊司令
  • 1936年(昭和11年)12月1日 - 海軍少将・呉防備戦隊司令官
  • 1937年(昭和12年)12月1日 - 第10戦隊司令官
  • 1939年(昭和14年)3月15日 - 北京在勤武官
  • 1940年(昭和15年)3月21日 - 予備役
  • 1941年(昭和16年)
    • 9月24日 - 充員召集
    • 10月15日 - 呉警備戦隊司令官
  • 1942年(昭和17年)
    • 1月10日 - 横須賀警備戦隊司令官
    • 4月10日 - 第7海軍根拠地隊司令官
    • 6月15日 - 父島方面特別根拠地隊司令官
    • 12月21日 - 召集解除
  • 1975年(昭和50年)5月20日 - 86歳にて没。

栄典

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親族

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  • 伯父:降幡敏 (海軍中将、海兵35期)
  • 甥:降幡倉雄(海軍主計少佐、海経16期首席、姉の息子)
  • 甥:藤森健(海軍少尉、海兵74期、兄の次男)

脚注

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  1. ^ a b 「藤森清一朗長野県諏訪市長ニ任スルノ件」
  2. ^ a b c d e f g h 『日本海軍史』第10巻、401頁。
  3. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、649-650頁。
  4. ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』144頁。
  5. ^ a b 『日本海軍将官辞典』329頁。
  6. ^ 『日本の歴代市長』第2巻、270頁。
  7. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛諏訪市」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、64頁。NDLJP:1276156 
  8. ^ 『官報』第1040号「叙任及辞令」1916年1月22日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1984年。
  • 内閣「藤森清一朗長野県諏訪市長ニ任スルノ件」昭和18年。国立公文書館 請求番号:任B03458100・本館-2A-021-00

関連項目

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