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小林福子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小林 福子
生誕 (1920-03-06) 1920年3月6日
出身地 日本の旗 日本 東京府
死没 (2012-08-09) 2012年8月9日(92歳没)
学歴 東京音楽学校本科作曲部卒業
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家ピアニスト、音楽教師
担当楽器 ピアノ

小林 福子(こばやし ふくこ、1920年3月6日[1] - 2012年8月9日[2])は日本の作曲家、音楽教師。桐朋学園大学附属子供のための音楽教室で長年教師としてソルフェージュを指導した[3]

来歴

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1920年、東京に生まれる[4]成城小学校6年生のときに成城学園教師の岡本敏明から作曲の手ほどきを受けた[5]1938年東京音楽学校予科に入学[6][7]橋本國彦ヘルムート・フェルマー井口基成に師事し[1]、作曲とピアノを学んだ。1942年9月に同校本科作曲部を卒業[8][注釈 1]。同年の『著作権者名簿』に、小林は「作曲」家として掲載され[13]、1948年と1949年の紳士録にも「作曲家」として掲載されている[14][15]

小林はピアニストとしても活動し、1949年11月22日には声楽家柴田睦陸の伴奏者としてフォーレ、ショーソンなどの作品を演奏した[16]

作曲家の平尾貴四男安部幸明高田三郎貴島清彦が1948年に結成し、後に島岡譲も加わっていた音楽グループ地人会に、小林は1950年参加[17]。同年にはピアノのための『主題と変奏曲』を、翌1951年には『ピアノソナタ』を地人会の演奏会で発表した[17]

玉川学園小学部でピアノを指導していたが[4]、1948年に斎藤秀雄らにが設立した「子供のための音楽教室」に指導者として加わる[18]。1954年の指導者には、ソルフェージュ科に伊藤武雄、小林福子、作曲理論科に柴田南雄入野義郎石桁真礼生、小林福子、別宮貞雄の名前がみられる[19]。教室で学んだ指揮者小澤征爾は、ソルフェージュで小林の指導を受けていた[20]

小林はその後も「子供のための音楽教室」でソルフェージュの指導を続け、1972年には室長に就任[21]。後には桐朋学園大学音楽学部教授に就任[2]

2012年8月9日に92歳で没した[2]

作品

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協奏曲

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  • ピアノコンチェルト[1][4]

ピアノ独奏曲

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  • 主題と変奏[17]
  • ピアノソナタ[1][17]
  • ピアノのためのソナチネ[4]
  • ピアノのためのプレリュード[4]

声楽曲

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  • 波(三声の輪唱、詞 岡本敏明)[22]
  • 歌はぼくらのお友達(二部合唱、詞 岡本敏明)[23]
  • 朝のうた(二部合唱、詞 岡本敏明)[24]
  • 合唱アルバム[4][25]

脚注

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注釈

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  1. ^ 予科入学と本科作曲部進学の同期に草川啓がいる。草川は1941年12月に卒業し[9]、小林は一期下(1939年予科入学)の白井威彦(旧姓、林)、三井一郎、土淵るり子(旧姓、菊池)[10]とともに1942年9月25日に卒業した[11][12]

出典

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  1. ^ a b c d 富樫 1956.
  2. ^ a b c 桐朋学園音楽部門報2013 vol.46 p11”. 桐朋学園音楽部門. 2023年7月28日閲覧。
  3. ^ 20周年記念誌:桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室 (p82) 将来の展望:最近の聴音、ソルフェージュ科 / 主任 小林福子”. 桐朋学園大学. 2023年7月28日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 学苑 1952.
  5. ^ 岡本 1966, pp. 121–122, 133–135, 96. 歌はぼくらのお友達 (楽譜).
  6. ^ 大蔵省印刷局 編「入学許可」『官報』3393号、日本マイクロ写真、1938年4月28日、998頁。NDLJP:2959884https://dl.ndl.go.jp/pid/2959884/1/14 
  7. ^ 第13 生徒」『東京音楽学校一覧 補遺 自昭和13年 至昭和14年』東京音楽学校、43頁。NDLJP:1461256https://dl.ndl.go.jp/pid/1461256/1/26 
  8. ^ 大蔵省印刷局 編「卒業證書授与」『官報』4752号、日本マイクロ写真、1942年11月12日、225-226頁。NDLJP:2961255https://dl.ndl.go.jp/pid/2961255/1/5 
  9. ^ 第14 卒業生及修了生」『東京音楽学校一覧 補遺 自昭和16年 至昭和17年』東京音楽学校、234頁。NDLJP:1461273https://dl.ndl.go.jp/pid/1461273/1/125 
  10. ^ 大蔵省印刷局 編「入学許可」『官報』3688号、日本マイクロ写真、1939年4月24日、1034頁。NDLJP:2960182https://dl.ndl.go.jp/pid/2960182/1/16 
  11. ^ 第3 生徒」『東京音楽学校一覧 補遺 自昭和15年 至昭和16年』東京音楽学校、46頁。NDLJP:1463146https://dl.ndl.go.jp/pid/1463146/1/28 
  12. ^ 第13 生徒」『東京音楽学校一覧 補遺 自昭和16年 至昭和17年』東京音楽学校、168-169頁。NDLJP:1461273https://dl.ndl.go.jp/pid/1461273/1/92 
  13. ^ 著作権者名簿 訂4版日本放送協会、1942年、124頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1683435/1/66 
  14. ^ 東京紳士録 昭和23年 上巻』ジャパン・クレヂット・ビューロー、1948年、163頁https://dl.ndl.go.jp/pid/2996481/1/88 
  15. ^ 日本紳士録 昭和24 (東京編)』ジヤパン・クレヂット・ビューロー、1949年、163頁https://dl.ndl.go.jp/pid/3017405/1/87 
  16. ^ 音楽年鑑 昭和26年版』音楽之友社、1950年、19頁https://dl.ndl.go.jp/pid/2471909/1/43 
  17. ^ a b c d 『戦後作曲家グループ・活動の軌跡 1945-1960』日本近代音楽館、1998年4月、6頁。 
  18. ^ 斎藤秀雄 | History of music” (2022年3月28日). 2023年7月28日閲覧。
  19. ^ 音楽年鑑 昭和29年版』音楽之友社、1954年、185頁https://dl.ndl.go.jp/pid/2471912/1/127 
  20. ^ 小澤征爾(6)指揮者を志す”. 日本経済新聞 (2014年1月7日). 2023年7月28日閲覧。
  21. ^ 概要・沿革”. 桐朋学園大学音楽学部附属 子供のための音楽教室. 2023年7月28日閲覧。
  22. ^ 岡本 1966, p. 10, 10. 波楽譜).
  23. ^ 岡本 1966, pp. 121–122, 133–135, 96. 歌はぼくらのお友達楽譜).
  24. ^ 岡本 1966, pp. 121–122, 136, 97. 朝のうた楽譜).
  25. ^ ニルス・ブック基本体操』玉川大學出版部、1949年7月、巻末頁https://dl.ndl.go.jp/pid/2529481/1/161 

参考文献

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