小森孝憲
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1980年12月23日(43歳) |
身長 体重 |
179 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2002年 ドラフト9巡目 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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小森 孝憲(こもり たかのり、1980年12月23日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]横浜商大高では3年夏の東神奈川大会準決勝でセンバツ優勝、夏も全国制覇する横浜高校に0-25で敗れる。北海道学生野球連盟に加盟する東農大生物産業学部に進学[1]。
大学時代は稲嶺誉と共に活躍し、1年春に新人賞、最優秀投手を受賞。4年次の2002年には前年秋に続き春季リーグ最優秀投手賞を獲得し、大学選手権にも4回出場[2]、2年から登板した(4年は1回戦7回コールド完封、2回戦敗退)。日本代表候補となり、同年のプロ野球ドラフト会議で、その春のキャンプに参加していたヤクルトスワローズから9巡目でされ入団した。東京農大生物産業学部時代は食品科学科に在籍し、野球部の活動と並行して「ヨーグルトの物性について」研究を行っていた。
プロ一年目の2003年シーズンは二軍で先発5試合含む[3]33試合に登板し、2勝5敗0S、防御率は6.46の成績をのこす[3]。
2004年シーズンも一軍での登板はなく、二軍ですべてリリーフとして33試合に登板し[4]、2勝1敗0Sの成績を残したが[4]、防御率は5.17と向上が見られた[4]。
1軍に昇格することなく、2005年シーズン終了後に戦力外通告を受けた。監督に就任したばかりの古田敦也プレーイングマネージャー直々に監督専属広報への転身を打診され、現役を引退し監督専属広報に就任した。現役最終年の成績は38試合に登板し、1勝0敗0S、防御率3.45の成績であった[5]。
2007年、古田の監督退任に伴いヤクルトを退団。その後、スポーツメーカーのZETTに入社した[6]。
選手としての特徴
[編集]投球フォームはサイドスロー[1]。ストレートの最速は143km/hで持ち球はスライダーとシンカー[1]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 59 (2003年 - 2005年)