コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

小槙和輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小槙 和輔
生誕 1884年(明治17年)12月10日
日本の旗 日本 和歌山県鳥屋城村
死没 1932年(昭和7年)8月20日
満州里
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1905年 - 1932年
最終階級 海軍少将
墓所 多磨霊園
テンプレートを表示

小槙 和輔(こまき わすけ、1884年(明治17年)12月10日 - 1932年(昭和7年)8月20日)は、日本海軍軍人

最終階級は海軍少将1932年ジュネーブ会議の全権随員和歌山県鳥屋城村(現有田川町)出身。

年譜

[編集]

栄典

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『官報』第7084号「叙任及辞令」1907年2月13日。
  2. ^ 『官報』第2539号「叙任及辞令」1921年1月21日。
  3. ^ 『官報』第3747号「叙任及辞令」1925年2月20日。

参考文献

[編集]
  • 倫敦軍縮会議と日本(文明協会ライブラリ)小槇和輔 述/文明協会 編輯
  • 日本陸海軍の制度・組織・人事(日本近代歴史料研究会編・東京大学出版会
  • 海軍兵学校沿革・第2巻(海軍兵学校刊)
  • 海軍兵学校出身者名簿(小野崎誠編・海軍兵学校出身者名簿作成委員会)

関連項目

[編集]