小比類巻富雄
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小比類巻富雄 こひるいまき とみお | |
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生年月日 | 1911年2月9日 |
出生地 |
日本 青森県上北郡三沢村 (現青森県三沢市) |
没年月日 | 1978年7月31日(67歳没) |
出身校 |
八戸中学校卒業 (現青森県立八戸高等学校) |
前職 | 高等小学校代用教員 |
称号 |
正五位 勲三等瑞宝章 藍綬褒章 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1959年5月1日 - 1978年7月31日 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1955年5月 - 1959年4月 |
三沢村議会議員 |
小比類巻 富雄(こひるいまき とみお、1911年〈明治44年〉2月9日[1] - 1978年〈昭和53年〉7月31日[1])は、昭和時代の政治家。青森県上北郡大三沢町長、三沢市長。
経歴
[編集]小比類巻金太郎、ナミの長男として青森県上北郡三沢村(現在の三沢市)に生まれる[1]。1930年(昭和5年)3月、八戸中学校を卒業し、翌年7月に三沢尋常高等小学校の代用教員となる[1]。戦後、1947年(昭和22年)4月、三沢村議会議員に当選[1]。翌年4月に周辺村との合併により大三沢町が発足すると、同町長に就任した[1]。1955年(昭和30年)5月から1959年(昭和34年)4月まで青森県議会議員を務め、同年5月に三沢市長に就任した[1]。
町長・市長と三沢市の首長を26年に渡り務めた[2]。在任中は、淋代平の新田開発、三沢沿岸の人工礁建設、工業の誘致による基地経済からの脱却、三沢飛行場の開設などに尽力した[2]。
市長在職中に死去した[3]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 「故小比類巻富雄 三沢市長の足跡」『広報みさわ』第208号、三沢市役所総務課広報係、1978年9月、2頁。
- ^ a b 東奥日報社 2002, 260頁.
- ^ 藤本一美「戦後青森県の市長選挙と歴代市長④」『専修法学論集』第140巻、専修大学法学会、2020年11月、217-259頁、CRID 1390290699808336128、doi:10.34360/00011657、ISSN 0386-5800。
参考文献
[編集]- 東奥日報社 編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。ISBN 4885610656。