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小河八十次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小河 八十次(おごう やそじ、1919年8月15日 - 1998年9月22日)は、昭和(戦後)の裁判官

人物

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1919年(大正8年)8月15日生まれ。旧制静岡県立静岡中学校[1]、旧制静岡高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業後、南満州鉄道に勤務。現地で軍隊に召集され、抑留の後、復員。1947年(昭和22年)司法試験合格。同年に創設された司法修習所第1期出身の裁判官。法律に強い理論派で、厳格な法解釈で知られた。 自衛隊の合憲性が問われた長沼ナイキ事件 控訴審裁判長1審で出された初の自衛隊違憲判決を覆し、最高裁の「送り込み人事」、「長沼シフト」と言われた[2]

略歴

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脚注

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  1. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 65頁。
  2. ^ 8、9頁 最高裁事務総局による「判決統制」@人事による統制
  3. ^ 弁護士山中理司のブログ 小河八十次裁判官(1期)の経歴

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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