北見鉄道
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(小清水駅から転送)
北見鉄道 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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止別駅舎横にある分岐跡石碑 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
路線総延長 | 8.89 km | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
軌間 | 1067 mm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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北見鉄道(きたみてつどう)は、かつて北海道斜里郡小清水町にあった鉄道事業者、あるいは同社が運営する鉄道路線である。
路線データ
[編集]- 路線距離:仮止別 - 小清水間8.89km
- 軌間:1067mm
- 駅数:3
沿革
[編集]- 1926年(大正15年)2月6日:鉄道省に鉄道敷設申請。当時の社名は北見拓殖鉄道
- 1927年(昭和2年)6月2日:止別 - 小清水 - 札鶴間、小清水 - 砥草原間の鉄道敷設免許下付[1]
- 1929年(昭和4年)4月21日:旭川にて設立総会開催。商号を北見鉄道に変更[2]
- 1930年(昭和5年)
- 1933年(昭和8年)12月22日認可:野坂停留場で貨物取扱い開始。停車場に格上げ
- 1934年(昭和9年)7月7日:ガソリン動力併用認可
- 1937年(昭和12年)3月15日届出:仮止別駅の構内側線を延長 (0.34km) して国鉄止別駅前に乗り入れ。営業キロの変更なし
- 1938年(昭和13年)8月8日:路線バス事業開始
- 1939年(昭和14年)8月25日:鉄道路線廃止[5]
- 1940年(昭和15年)
運行
[編集]開業時から、国鉄釧網本線の列車に接続して1日4往復の混合列車が設定されており、所要時間は25分であった。1937年には、ガソリン動車の投入にともなって3往復が増発されたが、日中戦争の勃発により統制が進んでガソリンの入手が困難となり、結局のところ翌年の1938年4月には元の4往復に戻ってしまった。
駅一覧
[編集]仮止別駅(かりやむべつ)0.0km - 野坂駅(のさか)3.8km - 小清水駅(こしみず)8.7km
- 全線が単一閉塞
輸送・収支実績
[編集]年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
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1930 | 13,431 | 1,168 | 5,324 | 12,945 | ▲ 7,621 | 4,248 | |||
1931 | 8,715 | 1,077 | 報告書未着 | ||||||
1932 | 13,622 | 2,062 | 6,654 | 15,046 | ▲ 8,392 | 雑損2,545 | 7,205 | 6,148 | |
1933 | 17,063 | 4,784 | 8,612 | 17,643 | ▲ 9,031 | 雑損27,543 | 17,640 | 15,261 | |
1934 | 28,119 | 17,689 | 18,720 | 23,047 | ▲ 4,327 | 雑損8,589 | 12,712 | 16,039 | |
1935 | 33,471 | 31,230 | 28,952 | 23,811 | 5,141 | 減資差益金100,000 | 雑損償却金29,897 | 8,784 | 16,087 |
1936 | 31,598 | 14,429 | 19,701 | 19,234 | 467 | 雑損償却金6,254 | 8,677 | 16,643 | |
1937 | 27,139 | 20,120 | 27,767 | 26,866 | 901 | 雑損償却金6,875 | 8,367 | 16,834 |
- 鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両
[編集]1930年の開業時には、蒸気機関車2両、客車3両、貨車3両が在籍した。1939年の廃止までの間に、蒸気機関車のべ4両、ガソリン動車1両、客車3両、貨車3両が所属したが、新製車は1両もなく、すべて中古車であった。
蒸気機関車
[編集]- 11(A2形)
- 1895年、イギリスのナスミス・ウィルソン製の車軸配置0-6-0 (C) のタンク機関車である。前歴は鉄道省の1681(1680形)であったが、さらにその前は2代目水戸鉄道11 ← 鉄道院1110(1100形) ← 北越鉄道2であった。鉄道省からは由仁軌道に工事用として譲渡されていたものだが、同軌道が未成に終わったのを受けて、1930年2月に譲受した。1935年(昭和10年)7月に車体の破損を理由として廃車、解体された。
- 1812(1800形)
- 1896年イギリスのキットソン製の車軸配置0-6-0 (C) のタンク機関車である。前所有者は鉄道省で、元は北越鉄道が輸入したものである。1930年1月に譲り受けはしたものの、当鉄道では軸重が過大[7]で使用できず、同年3月には竣工届も出されないまま廃棄された
- 7211, 7218(7200形)
- 1896年製アメリカのボールドウィン製の車軸配置2-6-0 (1C) のテンダー機関車である。元は北海道炭礦鉄道(29, 40)。1812が軸重過大で使用できなかったのを受け、代機として7218を1930年3月に、7211を1933年8月に追加購入したが、廃止後の1940年、外地へ売却された[8]。
ガソリン動車
[編集]- キハ1(キハ1形)
- 1937年7月、休止となった札幌郊外電気軌道から購入したガソリン動車である。車体長6m(全長7.05m)、定員32人(座席14人)の半鋼製2軸式小型ガソリン動車であった。ガソリン消費統制によりガソリンエンジンを降ろしてハ1となった。本鉄道廃止後、小名浜臨港鉄道に譲渡され、客車として戦後まで使用された。
客車
[編集]- ハ20 - ハ22(ハ20形)
- 開業用として1930年4月、定山渓鉄道から譲り受けた木造2軸客車で、その前は鉄道作業局フハ3388 - フハ3390、さらにその前は北海道官設鉄道へ5 - へ7であった。1897年北海道庁鉄道部月島仮工場製とされるが、1907年に本州から転属してきたものとする説もある。また、形式図上は1907年8月製とされている。廃止後は現地で解体された。
貨車
[編集]- ワ50(ワ1形)
- 1895年鉄道作業局新橋工場製の木造2軸有蓋車である。前所有者は鉄道省で、旧番はワ7171(ワ1形)であった。荷重10t。廃止後は小名浜臨港鉄道に譲渡され、有蓋緩急車(ワフ50)に改造のうえ、1965年まで使用された。
- ト30, ト31(ト1形)
- 1888年、1895年鉄道作業局新橋工場製の2軸木造無蓋車である。旧番はト6230, ト8737(ト6000形)とされるが、鉄道院側の記録では1897年平岡工場、1896年総武鉄道工場製となっている。荷重は10t。廃止後はト30が小名浜臨港鉄道に譲渡され、ト3として使用されたが、ト31の消息は明らかでない。
脚注
[編集]- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1927年6月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許一部失効」『官報』1930年1月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1930年6月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道営業廃止実施」『官報』1939年9月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 北見バス『北見バス20年』(1963年)p20
- ^ 北見鉄道の軌道負担力が11.45tであったのに対し、1812は軸重が14tもあった。
- ^ 臼井茂信が2月9日に東横浜駅構内に留置されているのを実見しており、15日に8号岸壁に回送されたという。『古典ロコ No.2』(復刻アテネ書房)31頁
参考文献
[編集]- 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年。ISBN 4-88548-065-5。
- 湯口徹『内燃動車発達史』 上巻:戦前私鉄編、ネコパブリッシング、2004年。ISBN 4-7770-5087-4。
- 澤内一晃「失われた鉄道・軌道をたずねて (70) 北見鉄道」『鉄道ピクトリアル』No. 657、1998年8月。
- 北見鉄道工事施行の件 昭和4年11月 国立公文書館 アジア歴史資料センターデジタルアーカイブ