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太田鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
水戸鉄道 (2代)から転送)
太田鉄道株式会社
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
茨城県久慈郡太田町[1]
設立 1893年(明治26年)12月[1]
業種 鉄軌道業
代表者 社長 佐藤信次[1]
資本金 357,910円(払込高)[1]
特記事項:上記データは1901年(明治34年)現在[1]
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水戸鉄道株式会社(2代)   1906年の路線図

太田鉄道(おおたてつどう)は茨城県水戸市久慈郡太田町(現常陸太田市)を結ぶため建設された私設鉄道およびその運営会社である。多額の負債をかかえ水戸鉄道(2代)へ事業譲渡され、後に国有化され東日本旅客鉄道(JR東日本)水郡線の一部となった。

歴史

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太田鉄道

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水戸市-太田町間の鉄道構想は1887年(明治20年)茨城県北部の有志が太田町に集まり馬車鉄道敷設を討議したことに始まる。そして敷設費用調査と、貨客の数量の調査をはじめることになった。一方1889年(明治22年)には水戸-小山間を開業していた水戸鉄道(のちのJR水戸線)に対し太田町への敷設の意志を照会していた。しかしその意思が無いことがわかり1890年(明治23年)に発起人総会を開き水戸-太田間に馬車鉄道を敷設することを決議、測量技師の磯長得三[2]の調査により工事可能との回答をうけ敷設調書を作成し、1891年(明治24年)に当局へ必要書類を提出した。このとき会社名は常北馬車鉄道[注釈 1]とし、創立事務所を水戸市に置いた。賛同者は大田町長、幸久村長をはじめ地元の有力者たち45名であった。

1892年(明治25年)7月18日 馬車鉄道敷設特許状が下付されたので大田町で会議を開き工事着手の手順を協議していたところ席上軽便鉄道に変更したい旨の動議がおこった。そこで再び磯長得三に調査を依頼し、可能であるとの回答を受け新たに太田鉄道を起こすこととし、資本金は16万円、株数は3200株うち970株を発起人で引き受けることを決めた。そして11月に軌間762mmの小機関車鉄道に変更することを願い出た[3]。発起人は39名うち14名は太田町出身者でほかは久慈、那珂郡そして水戸市出身者であった。1893年(明治26年)4月8日 仮免状が下付された。8月に創立総会をひらき取締役5名と監査役3名を選出。9月に 佐藤信凞第百四国立銀行取締役[4])を社長に選出した[5]。12月24日に本免許状が下付され[6]、1894年(明治27年)7月になり磯長得三を技師長として水戸-久慈川間を起工した。

ところが水戸-久慈川間の工事は12月末に完成したものの折悪しく日清戦争による不況により株金の払込が滞るようになりその後の工事に支障がでるようになる。久慈川の架橋工事の困難さに加え、主任技師が応召して代わりが見つからなかったこと、久慈郡幸久村と那珂郡額田村両岸から同時着工しないと洪水発生のおそれがあることから1年以上にわたり村との交渉に費やされ、1895年(明治28年)10月になり幸久村沿岸の先行工事で決着をみることになった。また役員や株主間の軋轢及びそれに起因する社長更迭により会社の業務は停滞し、反主流派は株金の払込遅滞や土地買収の妨害をするなど問題が起きていた。こうしたなか1895年(明治28年)1月に社長の佐藤信凞が辞任し小山田信蔵[7]が就任した[8]。当初小山田は固辞したものの追加発起人で100株を引受た侯爵徳川篤敬(水戸徳川家)の依頼により社長に就任する[9]。12月の臨時株主総会で水戸駅で日本鉄道と連絡する関係から軌間1067mmの普通鉄道にすること、資本金を34万円にすることを決議した。しかし1896年(明治29年)4月普通鉄道の認可はおりたものの金策で行き詰まり工事は進まず経営不振の責任をとり1896年(明治29年)12月役員全員が辞任する。

1897年(明治30年)3月に臨時株主総会を開き不足する建設資金と既借入金返済のため十五銀行より20万円を借入れることと未払いの株主に対し権利を失効させることを決議。そして空席の社長に飯村丈三郎[10]が就任することになったが早くも5月に辞任してしまう。かわって6月に久能木宇兵衛が社長に就任した[11]。久能木は資本金を68万円に増資し、工事続行するために金策に奔走したがさらに借入金を重ねて11月16日水戸 - 久慈川間が開業を見ることになる。しかし終点の久慈川は久慈川架橋工事が未完成のため額田村久慈川河岸に一時的に設けられたもので、太田町へは馬車を使わねばならず不便であり当然利用者は少なく、営業収入も予想を下回っていた。このため久慈川-太田間の工事を進めることとし1899年(明治32年)2月銀行から5万円の借入した。そして元日本鉄道建築課長長谷川謹介に工事監督を委嘱[12]しついに久慈川鉄橋が完成し4月1日久慈川 - 太田間開業をみることになった。しかし営業成績は上向かず、8月に久能木社長以下役員全員が辞任した。さらに9月の役員選考では選ばれた全員が辞退し社内は混迷した。再び開かれた臨時株主総会でようやく佐藤信次が社長に就くことになる[13]

1900年(明治33年)6月の決算では5万3千円余の欠損が発生。建設金は58万9479円。資本金68万円のうち払込みは35万7910円にすぎず借入金は25万円もあった。利子の支払も滞り株主の中には鉄道売却の意見もでてくるようになった。こういったなか臨時株主総会を開き鉄道売却の議案を提出を図ろうとしたところ反対派の株主達が太田区裁判所に申請し仮処分の執行により総会を差し止められる。それでも7月になると鉄道売却派を中心に臨時株主総会を開き一切の事業を水戸鉄道(2代)へ売却することを決議[注釈 2]、さらに8月には会社の任意解散と清算人の選定の件で臨時株主総会を開こうとしたところ再び反対派の株主達が水戸地方裁判所に仮処分の申請をし総会を差し止められる事態となった。内紛がおさまらいため鉄道の運行を休止する。10月に臨時株主総会を開き役員を総取替して再度鉄道譲渡及び会社任意解散を諮ろうとしたところ、また反対派の上訴により東京控訴院の命令で停会の措置を受けることになった。

こうして紛糾した鉄道譲渡問題も裁判所の和解勧告や取引銀行の介入、政界有力者の助言により反対派も軟化をみせ1901年(明治34年)4月の臨時株主総会において全事業を28万円[14]で水戸鉄道(2代)へ譲渡及び太田鉄道の任意解散が決議されることになった。 そして10月21日 太田鉄道が水戸鉄道(2代)に全事業を譲渡し運行を開始。これに伴い太田鉄道は解散した[15]

水戸鉄道

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水戸鉄道株式会社
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
東京府東京市麹町区永楽町2丁目[16]
設立 1901年(明治34年)10月[16]
業種 鉄軌道業
代表者 社長 安田善助[16]
資本金 500,000円(払込高)[16]
特記事項:上記データは1934年(昭和9年)現在[16]
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会社発足時の役員[17]は専務取締役に伴野乙矢(十五銀行支配人[18])、取締役成瀬正恭(十五銀行副支配人兼預金課長[18])、中根虎四郎(安田銀行庶務部長[17])と十五銀行と安田銀行関係者であったが、まもなく安田銀行関係者はぬけてしまう[注釈 3][19]。本社は東京の十五銀行内であり、株主はわずか9人であった。この時代は設備改善もされず[20]「日々の僅かな運賃収入から徐々に回収していく[21]」状況であったとみられる。

十五銀行は水戸鉄道(2代)の売り先を探していたが安田家から借金をしていた元太田鉄道社長の小山田の仲介により1907年(明治40年)8月15日水戸鉄道(2代)株2600株全部を285000円で安田家が取得した[22]。本社を日本橋区小舟町3丁目に移転。役員も太田弥五郎(善次郎の妹婿)、杉田巻太郎、藤田善兵衛、安田善之助、安田善彦(善次郎の養子)ら安田家関係者に変わった[23]

1910年(明治43年)軽便鉄道法が交付され、水戸鉄道(2代)は1911年(明治44年)2月軽便鉄道に指定された。このころ鉄道院では勝田から大宮に至る軽便線の建設を計画していた[24]。この路線が建設されれば死活問題となる水戸鉄道(2代)は1915年(大正4年)12月21日に上菅谷から大宮に至る路線を申請し、1916年(大正5年)3月鉄道免許状が下付された[注釈 4]。1918年(大正7年)6月上菅谷 - 瓜連間、10月瓜連 - 常陸大宮間開業。この建設により福島(郡山)地方への重要な連絡路の役割をはたし貨客の輸送量は増大し経営は好転していった[25]

一方勝田-大宮間の軽便線の計画を潰された形となったが衆議院議員(茨城県選出、政友会根本正の熱心な議会活動により1919年(大正8年)大宮-郡山間(大郡線)の予算計上に成功、さっそく工事着手、1922年(大正11年)12月10日大郡線常陸大宮 - 山方宿間の開業をみることになる。

1927年(昭和2年)水戸鉄道(2代)は「国有鉄道既設線との線路の系絡をはかり円滑な連絡をおこなう[26]」との理由で買収されることになり[27]法律第29号が公布され[28]、12月1日水戸鉄道(2代)水戸-太田間、上菅谷-常陸大宮間延長20哩30鎖を買収、水郡線と名付けられた。買収価額は3,363,813円であった[29]

沿革

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  • 1892年(明治25年)
    • 7月18日 馬車鉄道敷設特許(日本鉄道水戸駅-久慈郡太田町間)[30]
    • 11月15日馬車鉄道を小機関車鉄道に変更願[31][32]
  • 1893年(明治26年)
    • 4月8日 太田鉄道に対し仮免状下付[30]
    • 12月22日 免許状下付(久慈郡太田町-水戸市間 軌間762mm 発起人総代大内義行)[33]。太田鉄道設立(社長佐藤信凞)[5]
  • 1894年(明治27年)鉄道敷設免許却下(水戸市-東茨城郡下大野村間)[30]
  • 1896年(明治29年)4月17日 普通鉄道の変更認可[34][35]
  • 1897年(明治30年)11月16日 水戸 - 久慈川間が開業[36]
  • 1899年(明治32年)4月1日 久慈川 - 太田間開業[37]
  • 1900年(明治33年)8月20日 水戸鉄道(2代)に対し鉄道免許状下付[38][39]
  • 1901年(明治34年)
    • 10月20日 水戸鉄道(2次)設立[40]
    • 10月21日 太田鉄道が水戸鉄道(2代)に事業を譲渡[41]
  • 1911年(明治44年)2月16日 軽便鉄道指定[38]
  • 1916年(大正5年)3月27日 鉄道免許状下付(那珂郡菅谷村-同郡大宮町)[42]
  • 1918年(大正7年)
    • 6月12日 上菅谷 - 瓜連間開業[43]
    • 10月23日 瓜連 - 常陸大宮間開業[44]
  • 1922年(大正11年)12月10日 鉄道省大郡線常陸大宮 - 山方宿間開業[45]
  • 1925年(大正14年)8月15日 大郡線山方宿 - 上小川間開業[46]
  • 1927年(昭和2年)
    • 3月10日 大郡線上小川 - 常陸大子間開業[47]
    • 12月1日 水戸鉄道(2代)が買収され国有化。大郡線を編入して水戸 - 常陸大子間および上菅谷 - 常陸太田間を水郡線とする[48]。青柳駅を常陸青柳駅に、太田駅を常陸太田駅に改称。機関車6両、客車21両、貨車44両を引継ぐ。

駅一覧

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名称 駅間距離(哩) 設置日 所在地 備考
水戸
青柳 1.2 1897年11月16日 那珂郡川田村 国有化時に常陸青柳に改称
清水原 - 1912年10月11日[49] 1916年11月1日廃止。行楽客のため毎年秋期のみ開設[49]
下菅谷 3.7 1897年11月16日 同郡菅谷村
上菅谷 1.4 1897年11月16日 同郡菅谷村
額田 2.2 1897年11月16日 同郡額田村
久慈川 - 1897年11月16日 官報[50]では1899年4月17日より廃止とあるが、
5月10日まで貨物取扱駅として存続していた[51]
河合 1.9 1899年9月7日[52] 久慈郡幸久村
太田 1.7 1899年4月1日 同郡太田町 国有化時に常陸太田に改称
(上菅谷)
常陸鴻巣 2.1 1918年6月12日 那珂郡芳野村
瓜連 2.0 1918年6月12日 同郡瓜連村
0.9 1919年2月1日[53] 同郡静村 1918年11月20日-22日静神社参拝客のため臨時停留場設置[54]
常陸大宮 3.3 1918年10月23日 同郡大宮町

輸送・収支実績

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年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1897 24,687 1,913 5,349 3,167 2,182
1898 176,635 11,025 25,716 25,521 195
1899 213,418 14,208 34,294 33,859 435
1900 246,757 19,119 41,304 36,938 4,366
1901 223,424 20,211 42,696 34,457 8,239
1902 215,740 24,829 45,059 30,016 15,043
1903 191,239 30,970 47,336 28,177 19,159
1904 169,897 32,512 45,357 29,724 15,633
1905 160,327 35,054 47,086 34,241 12,845
1906 167,197 40,901 53,757 35,283 18,474
1907 190,780 47,254 59,774 32,433 27,341
1908 208,996 44,455 60,940 35,472 25,468 償却金500 113
1909 214,109 39,511 62,231 35,277 26,954 226
1910 211,159 37,176 59,699 31,419 28,280 損失補填金2,256 455
1911 228,156 44,991 67,044 34,335 32,709 497
1912 229,064 49,697 71,554 38,041 33,513 償却金100 582
1913 250,509 54,810 78,241 39,698 38,543 651
1914 254,592 47,674 76,551 41,623 34,928 724
1915 254,254 46,161 76,470 42,305 34,165 898
1916 269,841 52,612 81,087 44,886 36,201 1,133
1917 305,611 62,771 87,420 58,596 28,824 1,317
1918 400,562 78,125 128,998 99,339 29,659 704
1919 576,322 106,137 203,923 163,016 40,907 16,103
1920 627,890 90,231 257,535 221,341 36,194 14,494
1921 609,979 90,016 305,544 208,725 96,819
1922 630,764 98,008 337,361 207,079 130,282
1923 710,864 117,830 373,871 221,954 151,917 雑損金335
1924 696,375 129,469 394,213 214,045 180,168
1925 704,553 118,241 392,439 216,777 175,662
1926 678,773 130,339 397,272 221,106 176,166
1927 585,218 123,343 395,043 211,824 183,219 雑損906
  • 鉄道局年報、鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版

車両

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国有化により機関車6両、客車21両、貨車44両が引継がれた[55]

  • 客車
    統計では1897年度-1907年度まで8両在籍している。1902年に一等が廃止されている[56]。1908年度より1911年度には6両となる。1912年南海鉄道より2軸客車3両を購入。1917年には国鉄より2軸客車4両[57]、1925年揖斐川電気より2軸客車6両を購入、1927年に郵便車2両[58]を新製し、計23両が在籍していた。
使用開始 形式番号 購入元 国有化後 製造年 製造所 前歴
1897 A1形 1 新製 1690 1896 ピッツバーグ
1897 A1形 2 新製 1691 1896 ピッツバーグ
1916 A2形 10 鉄道院 1680 1896 ナスミス 北越鉄道2→鉄道院1110
1916 A2形 11 鉄道院 1681 1895 ナスミス 鉄道作業局180→鉄道院1103
1925 21形 21 揖斐川電気 1710 1896 ダブス 讃岐鉄道8→山陽鉄道140→鉄道院1230→養老鉄道(揖斐川電気)11
1925 21形 22 揖斐川電気 1711 1896 ダブス 讃岐鉄道9→山陽鉄道141→鉄道院1231→養老鉄道(揖斐川電気)12
ロハニ21→フロハ21
ロハ23
ハニ12→フハ12
ハ14
ハ15
ハ16
1912 ハ31 南海鉄道 ハ1685 1900 汽車製造 南海鉄道は83
1912 ハ32 南海鉄道 ハ1686 1900 汽車製造 南海鉄道は88
1912 ハ33 南海鉄道 ハ1687 1900 南海鉄道は89
1917 ロハ24 鉄道院 三田製作所 房総鉄道ろは4→鉄道院ロハ909[59]
1917 ハフ3 鉄道院 松井工場 北越鉄道ハブ6→鉄道院ハニ3680[60]
1917 ハニ11→フハ11 鉄道院 三田製作所 北越鉄道ハブ1→鉄道院ハ3307[61]
1917 ハニ13→フハ13 鉄道院 三田製作所 北越鉄道ハブ2→鉄道院ハ3308[61]
1925 ロハ25 揖斐川電気 ?→揖斐川電気ロハ14
1925 ハ34 揖斐川電気 ハ1691 1900 日本車輌 南海鉄道は48→養老鉄道(揖斐川電気)ハ23
1925 ハ35 揖斐川電気 ハ1692 1898 日本車輌 南海鉄道は50→養老鉄道(揖斐川電気)ハ25
1925 ハ36 揖斐川電気 ハ1688 1900 汽車製造 南海鉄道は70→養老鉄道(揖斐川電気)ハ31
1925 ハ37 揖斐川電気 ハ1689 1900 汽車製造 南海鉄道は78→養老鉄道(揖斐川電気)ハ35
1925 ハニ38 揖斐川電気 ハ1690 1900 日本車輌 南海鉄道は95→養老鉄道(揖斐川電気)フハ40
1927 ユニ1 新製 ユニ3910[62] 1926[62] 日本車輌[62]
1927 ユニ2 新製
  • 鉄道省文書『養老鉄道』『水戸鉄道』、『客車略図』、「南海の二軸客車」

車両数の変遷

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年度 機関車 客車 貨車
有蓋 無蓋
1897-1907 2 8 20
1908-1911 2 6 6 24
1912-1916 2 9 6 24
1917 4 13 11 24
1918-1924 4 13 18 24
1925 6 19 20 24
1926 6 19 20 24
1927 6 21 20 24
  • 鉄道局年報、鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版

脚注

[編集]
  1. ^ 『日本鉄道史』をはじめとして太田馬車鉄道と称しているが地元の旧家に残されていた史料(発起人総会案内状、仮定款)、「常北馬車鉄道布設の許可」『読売新聞』明治25年7月26日朝刊、2頁(ヨミダス歴史館閲覧)では常北馬車鉄道である
  2. ^ 十五銀行が貸付抵当物件を差押、競売にかけても、鉄道免許は太田鉄道にあたえたものであり落札者ではないとの認識が当局にはあり、このため水戸鉄道会社を設立し事業譲渡するという手続きを必要とした『企業破綻と金融破綻』129-130頁
  3. ^ 明治33年4月19日、5月7日の2回安田善次郎が太田鉄道に視察に訪れており、発起人にも山中安吉(安田銀行協議役)がはいっていることから資本参加もしくは経営参画の意思があった推測とされるがなんらかの意見相違により安田家は引き上げたとみられる『安田保善社とその関係事業史』372頁
  4. ^ 「公益上必要ト認ムルトキハ菅谷勝田間ニ延長線ヲ敷設ヲ命スルコトアルヘシ」との条件がつけられており、大正11年法律第37号改正鉄道敷設法にも国が建設すべき鉄道路線となっていた『茨城県鉄道発達史』54頁

出典

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  1. ^ a b c d e 『日本全国諸会社役員録. 明治34年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 『帝国鉄道要鑑. 第3版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 「現在及ヒ将来経済上ノ得失ハ勿論運輸上ノ便否ヨリ攻究スルモ小機関車鐵道ヲ最モ適當ト視認」「太田鉄道会社創立願」『水戸鉄道』(鉄道省(院)文書 )
  4. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治26年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ a b 『日本全国諸会社役員録. 明治27年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 『太田鉄道株式会社設立及鉄道敷設免許状下付ノ件』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
  7. ^ 旧水戸藩家臣、衆議院議員、北海道炭鉱鉄道取締役『人事興信録. 2版(明41.6刊)』『衆議院要覧. 大正15年9月(乙』((国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治28年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 『企業破綻と金融破綻』126-127頁
  10. ^ 『人事興信録. 2版(明41.6刊)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治31年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 5万円を追加融資した十五銀行は長谷川の勤める日本鉄道の筆頭株主であり、工事未完のため免許失効という最悪の事態を恐れたため長谷川を工事監督させたとみられる『企業破綻と金融破綻』128-129頁、『銀行会社要録 : 附・役員録. 第二班 京浜銀行会社要録』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治33年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 十五銀行の25万円の貸金と未払い利息3万円にあたる
  15. ^ 『太田鉄道株式会社解散ノ件』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
  16. ^ a b c d e 『日本全国諸会社役員録. 第35回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ a b 『日本全国諸会社役員録. 明治34年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ a b 『日本全国諸会社役員録. 明治34年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治35年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ^ 道床砂利不足セリ停車場本屋の木羽葺屋根腐朽セルモノアリ(安田家買収時の報告)『企業破綻と金融破綻133頁
  21. ^ 『企業破綻と金融破綻』133頁
  22. ^ 『企業破綻と金融破綻』134頁
  23. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治41年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  24. ^ 「鉄道院告示第32号」『官報』1914年5月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  25. ^ 『日本国有鉄道百年史』第6巻、510頁
  26. ^ 『日本国有鉄道百年史』第9巻、630頁
  27. ^ 「地方鉄道五線」『大阪毎日新聞』 1927年1月19日(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
  28. ^ 『官報』1927年3月31日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  29. ^ 『日本国有鉄道百年史 第9巻』630-631頁
  30. ^ a b c 日本国有鉄道百年史』第4巻、386頁
  31. ^ 『太田鉄道会社創立願』『鉄道省文書』
  32. ^ 『太田町水戸市間馬車鉄道ヲ小機関車鉄道ニ変換布設ノ件』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
  33. ^ 「私設鉄道免許状下付」『官報』1894年1月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  34. ^ 『常陸太田市史』通史編 下288-289頁
  35. ^ 『太田鉄道設計変更認可ノ件』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
  36. ^ 「運輸開業免許状下付」『官報』1897年11月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  37. ^ 「運輸開業免許状」『官報』1899年4月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  38. ^ a b 「軽便鉄道指定」『官報』1911年2月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  39. ^ 『水戸鉄道株式会社発起並鉄道敷設仮免状下付ノ件』、『水戸鉄道株式会社設立並鉄道敷設免許状下付ノ件』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
  40. ^ 『安田保善社とその関係事業史』372頁
  41. ^ 「営業開始」、「私設鉄道株式会社解散」『官報』1901年11月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  42. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1916年3月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  43. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1918年6月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  44. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1918年11月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  45. ^ 「鉄道省告示第178号」『官報』1922年12月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  46. ^ 「鉄道省告示第149号」『官報』1925年8月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  47. ^ 「鉄道省告示第35号」『官報』1927年3月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  48. ^ 「鉄道省告示第270・271号」『官報』1927年11月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  49. ^ a b 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』2、JTB、1998年、439頁
  50. ^ 「停車場廃止」『官報』1899年4月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  51. ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』2、JTB、1998年、444頁
  52. ^ 「停車場設置」『官報』1899年9月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  53. ^ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1919年2月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  54. ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』2、JTB、1998年、440頁
  55. ^ 『鉄道統計資料. 昭和2年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  56. ^ 『日本国有鉄道百年史』第4巻、390頁
  57. ^ 『鉄道院鉄道統計資料.大正6年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  58. ^ 水戸常陸大宮間ニ郵便車連結方逓信省ヨリ要求之有「四輪郵便手荷物緩急車設計認可申請」『鉄道省文書』
  59. ^ 形式図『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  60. ^ 形式図『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  61. ^ a b 形式図『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  62. ^ a b c 岸由一郎 『十和田観光電鉄の80年 軽便から釣掛電車まで』 ネコ・パブリッシング、2003年

参考文献

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  • 伊藤東作『ある先覚者の軌跡 安田善次郎の鉄道事業』鉄道資料調査会、1983年、124-128頁
  • いのうえ・こーいち『図説 国鉄蒸気機関車全史』、JTBパブリッシング、214-215頁
  • 石井良一『水郡線の歴史』筑波書林、1980年、
  • 小川功『企業破綻と金融破綻』九州大学出版会、2002年、126-142頁
  • 中川浩一『茨城県鉄道発達史』筑波書林、1981年、46-68頁
  • 澤内一晃「南海の二軸客車」『鉄道ピクトリアル』No.835
  • 日本国有鉄道百年史』第4巻、386-390頁
  • 『日本国有鉄道百年史』第6巻、509-510頁
  • 『日本国有鉄道百年史』第9巻、627-631頁
  • 太田鉄道『日本鉄道史. 中篇』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 水戸鉄道『日本鉄道史. 下篇』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 『常陸太田市史』通史編 下、275-300頁 地元旧家が所蔵する鉄道関係史料により太田鉄道設立から譲渡までを詳述