小田桐幸雄
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個人情報 | |
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国籍 | 日本 |
生誕 | 1956年2月10日(68歳) 日本 青森県弘前市 |
スポーツ | |
競技 | ボクシング |
小田桐 幸雄(おだぎり ゆきお、1956年(昭和31年)2月10日[1] - )は、日本のボクサー。
経歴
[編集]青森県弘前市出身[1][2]。弘前電波工業高等学校を経て、拓殖大学に入学する[2]。同校在学中に[3]、1976年モントリオールオリンピックにフェザー級で出場し、3回戦で敗退した[4]。
ほか、1976年(昭和51年)全日本選手権フェザー級優勝、第8回アジア選手権ライト級準優勝、1977年(昭和52年)ベオグラード世界選手権出場などの結果を残した[1]。
引退後は消防署員となり[2]、弘前消防署西北分署などに勤務[1]。ほか、弘前ボクシング協会理事長として後進の育成に当たった[5]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 東奥日報社 2002, 812頁.
- ^ a b c “伝説のボクサーが弘前に”. 弘前ボクシングジム (2013年9月14日). 2024年9月20日閲覧。
- ^ “過去の日本代表五輪出場選手成績一覧表”. 大田区ボクシング連盟 (2008年2月23日). 2019年10月15日閲覧。
- ^ “Yukio Odagiri Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月21日閲覧。
- ^ “元五輪代表・小田桐さんがボクシング指導”. 東奥日報社 (2020年9月21日). 2020年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 東奥日報社 編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。ISBN 4885610656。