小田章
生誕 |
1943年4月21日 日本 大阪市 |
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死没 | 2022年7月19日(79歳没) |
国籍 | 日本 |
研究機関 |
和歌山大学 アジア太平洋研究所 |
母校 |
神戸大学経営学部卒業 神戸大学大学院経営学研究科修士課程修了 |
受賞 |
従三位 瑞宝中綬章 |
小田 章(おだ あきら、1943年〈昭和18年〉4月21日[1] - 2022年〈令和4年〉7月19日[2])は、日本の経営学者。第14代和歌山大学長で同名誉教授。日本維新の会所属の参議院議員高木佳保里の父[3]。位階勲等は従三位瑞宝中綬章[2][4][5]。
略歴
[編集]大阪府大阪市出身。1961年(昭和36年)、大阪府立清水谷高等学校卒業。1970年、神戸大学大学院経営学研究科修士課程修了。経営学修士、専門はドイツ経営学。1971年、和歌山大学経済学部助手に。助教授などを経て1985年(昭和60年)から教授。経済学部長、副学長を務め、2002年(平成14年)8月、第14代学長に就任した[6]。
国公立初「観光学部」戦略
[編集]学長として、国立大学法人化の指揮を取りながら、独自の教育・研究を目指す改革路線を掲げ、2008年(平成20年)国公立大学で初の観光学部を新設した[7]。
背景には、2003年に小泉純一郎総理大臣(当時)が、訪日外国人旅行者(インバウンド)を倍増(2010年で1000万人)させる「観光立国」を宣言し、ビジット・ジャパン・キャンペーン本部を発足させたことがある。
小田は経営学者として「観光に携わる人材が不足する」と分析。和歌山県の熊野古道など「紀伊山地の霊場と参詣道」が2004年世界遺産に指定され、自然と歴史が再び注目を浴びる一方で、和歌山県人口100万人割れの人口減少社会を踏まえ、学長就任時から「地域社会にこたえる大学」を掲げ行政と定期的な連絡会を開き、「イメージアップを大学が率先して図る」役割を推進。大学の法人化後の基盤強化として「オンリーワン分野の構築、大学の個性化・ブランド化させる」必要も踏まえ、「他大学と同じではだめ。二番煎じ、三番煎じにならないものを目指」す戦略として観光学部を考えた、と開設の理由を産経新聞に語っている[8]。
当初の計画では、商業施設の相次ぐ撤退で空洞化の進む和歌山市を活性化するため、観光学部の講義室・研究室を市中心部の空きビルなどに設ける方針だった。かつて大学キャンパスのあった市中心部を1980年代のように学生が行き交い、賑わいを復活させる構想として、市も基本計画の目玉事業として推進。文部科学省にも報告済みだったが、一転し大橋建一市長(当時)らが消極的となり計画が進まなくなり、現キャンパスでの開設となった[9][10]。
人のやらないことをやる
[編集]小田の教育者として持論は「人のやらないことをやる」「大学はサービス産業」。学生にアンケート調査を行い満足度を把握しつつ、「まず、正しい日本語を話させる」教育を行い、「茶道論、華道論や能、狂言、歌舞伎などの伝統芸能論も勉強」させる方針で、「(日本文化を説明する)きちんとした日本語ができなくて、外国人に、どうやって日本を案内できますか」[11]。
2003年4月には、「学生の健康を守る」として大学キャンパス内の全面禁煙化を推進。受動喫煙防止について、教職員や学生へのアンケートで6割超が賛成。健康増進法の改正を15年も先駆けた内容だったが、一部の教授の反対で先送りされた[12]。なお、キャンパス全面禁煙は、小田の構想から16年遅れて2019年(令和元年)7月から実施される。
まちづくり・地域おこし実践
[編集]学長以外にも、いわゆるまちづくりや地域おこしの視点での活動も続け、和歌山県出資のシンクタンク「財団法人和歌山社会経済研究所」理事長、2006年設立の「泉北ニュータウン学会」会長を務めた。学会では、同じく泉北ニュータウンに住む関西学院大学教授の村田治(現・学長)や、造園学者で大阪府立大学教授の増田昇と小股憲明(現・名誉教授)、天理大学教授(当時)今西幸蔵、作家難波利三らと、ニュータウン活性化を模索した[13]。
退官の翌2010年、和歌山市が「再生不能に陥り、朽ちていくのを傍観しているのは耐えられない」として、和歌山市長選挙に立候補[14]。大学のシンボルマークと同じオレンジ色を陣営の統一カラーに使い、「知的で活気あふれる和歌山」をアピール[15]。情報公開の徹底や地場産業の振興なども有権者に訴えたが、市長選(8月1日に投開票)直前に参議院議員選挙があり投票率が上がらず、3選を目指し組織票を固めた現職の大橋建一に敗れた。
一線を退いたが第二の故郷・和歌山への思いは熱く、特に観光の視点から「産官学民が一体となってIR(カジノを含む統合型リゾート)を誘致することが和歌山の発展につながる」と強調している[16]。
2018年(平成30年)、秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章[4][5]。
2022年(令和4年)7月19日、死去。79歳没。死没日付で従三位に叙された[2]。
人物
[編集]口のまわりに髭をたっぷり蓄えた風貌[11]で、中学から大学まで硬式野球部で活躍し、プロ野球阪神タイガースの大ファン。現在一般財団法人アジア太平洋研究所の研究員も務めている[17]。
栄典
[編集]著書
[編集]- 『西独経営経済組織学研究』(1985年、千倉書房 ISBN 978-4805104217 )
共著編
[編集]- 『日本的経営とドイツ的経営(共著、1995年、千倉書房 ISBN 978-4805107089 )
- 『日本的経営の解明』(大橋昭一共著、1995年、千倉書房)
- 『経営学への旅立ち』編(2001年、八千代出版)
翻訳
[編集]- カール・ハックス『西独における企業の人事・労務政策』(1985年、千倉書房 ISBN 978-4805105009 )
- ギュンター・シャンツ『西ドイツ経営学の新潮流』渡辺朗,岡部政昭共訳、1989年、千倉書房 ISBN 978-4805106013 )
- E.グロッホラ『組織理論入門』(清水敏允共訳、1989年、文眞堂)
脚注
[編集]- ^ 『現代日本人名録』
- ^ a b c 『官報』第802号6頁 令和4年8月23日
- ^ わかやま新報:小田陣営が決起集会/和歌山和歌山新報2010年7月20日
- ^ a b 『官報』号外第243号 平成30年11月5日
- ^ a b “平成30年秋の叙勲 瑞宝中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 6 (2018年11月). 2023年2月24日閲覧。
- ^ 歴代学長 | 和歌山大学
- ^ 産経新聞2002年10月28日朝刊【デビュー】オンリーワンの大学を目指す小田章さん
- ^ 産経新聞2006年6月12日朝刊【一線から】和歌山大観光学部に期待
- ^ 読売新聞2007年9月13日朝刊 和歌山大、観光学部へ「協力見えぬ」
- ^ 毎日新聞2007年9月13日朝刊 和歌山大観光学部、拠点再考も 学長会見「市や地元、思いに距離感」
- ^ a b 産経新聞2006年6月12日朝刊【一線から】和歌山大観光学部に期待
- ^ 産経新聞2004年4月3日朝刊 和歌山大の構内、全面禁煙が頓挫 教授会が反対
- ^ 産経新聞2006年8月7日夕刊【よみがえる街 千里・泉北ニュータウン】(6)市民参加型「泉北ニュータウン学会」
- ^ わかやま新報:和大前学長の小田氏が出馬表明、和歌山市長選/和歌山和歌山新報2010年6月2日
- ^ 産経新聞2010年7月30日朝刊 2010夏 和歌山市長選 イメージカラーで支持つかめ
- ^ 産経新聞2019年2月20日朝刊 IRビジネス高まる関心 セミナーに200社、海外からも
- ^ 小田 章| 研究者紹介 | APIR 一般財団法人アジア太平洋研究所