小田雪窓
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小田 雪窓(おだ せっそう、1901年(明治34年)11月28日 - 1966年(昭和41年)9月17日[1])は、大正・昭和時代の日本の臨済宗の禅僧。大徳寺506世、大徳寺派第11代管長等を歴任した。本名は小田虎蔵[1]。雪窓は道号で、法諱は宗甫。蔵暉室と号した。
生涯
[編集]1901年(明治34年)に鳥取県八頭郡河原町(現在の鳥取市河原町)で生まれる。1913年、鳥取・竜峯山広徳寺の第21世住持・杉原春窓(元令)の下で得度。
1921年(大正10年)に妙心寺に掛塔、瑞巌宗碩に師事し、法嗣となる。
1947年(昭和22年)、師の瑞巌が大徳寺派9代管長・大徳寺503世に就任すると、高齢を理由に雪窓を大徳僧堂の師家代参とした。1950年(昭和25年)から僧堂師家を務め、1955年(昭和31年)には大徳寺派第11代管長に就任、1956年(昭和32年)大徳寺住持となり龍翔寺に住した。
1966年(昭和41年)死去。