小畑やすし
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おばた やすし 小畑 やすし | |
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本名 | 木幡 泰(こわた やすし) |
生年月日 | 1945年5月13日 |
没年月日 | 2010年1月8日(64歳没) |
出生地 | 日本・兵庫県 |
職業 | 元子役 |
ジャンル | 劇映画(現代劇・時代劇、トーキー) |
活動期間 | 1952年 - 1958年 |
配偶者 | あり |
主な作品 | |
「サザエさんシリーズ」 |
小畑 やすし(おばた やすし、1945年5月13日 - 2010年1月8日[1])は、日本の元子役[2][3]。本名は木幡 泰(こわた やすし)[2][3]。
来歴・人物
[編集]1945年5月13日、兵庫県に生まれる[2][3]。4人兄弟の長男であった。海軍少将木幡行は祖父。父親が東映の社員だった関係で、知り合いの大映プロデューサーに勧められ、1952年に公開された小石栄一監督映画『死の街を脱れて』で子役デビューを果たした[2][3]。
以後、愛くるしい名子役として江利チエミ主演の「サザエさんシリーズ」のかつを役(初代)を始め、多数の作品に出演する。特に、同じく子役だった松島トモ子とのコンビによる、仲木繁夫監督映画『あんみつ姫』二部作や毛利正樹監督映画『たん子たん吉珍道中』の三部作は当時の少年少女に圧倒的な人気を呼んだ[2][3](先述のサザエさんシリーズでも松島はワカメ役を演じ、コンビで出演している)。 1957年には、マーキュリーレコードにて松山恵子とのデュエット「山彦船頭さん」を発売し歌手としてもデビューを果たした。
1958年、東京学芸大学附属世田谷中学校に進学と共に芸能界を引退[2][3]。中学校卒業後はアメリカのケント・スクールに入学[2][3]。大学は学習院大学に進学し、卒業後は伊藤忠商事に就職[2][3]。課長まで上り詰めたが、1976年にコパカバーナ駐在員として再び渡米した[2][3]。定年退職後、東京都世田谷区の男声合唱団メンネルコールけやきに入団していた[1]。また、アメリカだけでなくブラジルに6年間駐在した経験もある[3]。
2010年1月8日、心臓病のため死去した[1]。満64歳没。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 小畑やすし - 日本映画データベース
- 小畑やすし - KINENOTE