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小笠原長為

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小笠原長為
時代 江戸時代中期
生誕 延享2年6月29日1745年7月28日
死没 天明2年2月12日1782年3月25日
別名 惣次郎
戒名 心岳宗印明鑑院
墓所 東京都練馬区桜台の円満山広徳寺
官位 従五位下信濃守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
播磨安志藩
氏族 小笠原氏
父母 父:小笠原長逵、母:小笠原長興の養女
兄弟 男子、長為忠苗大岡忠與政宣水野勝起継室、女子
正室:小笠原貞顕の娘
側室:すて
忠固長禎小笠原長世継室
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小笠原 長為(おがさわら ながため)は、播磨国安志藩の第3代藩主。忠脩系小笠原家8代。

生涯

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延享2年(1745年6月29日、第2代藩主・長逵の次男として生まれる。母は長逵の正室で、初代藩主・長興の妹かつ養女である。

明和7年(1770年)、父の死去により家督を継ぎ、12月16日に叙任する。

天明2年(1782年2月12日に死去した。享年38。跡を次男の長禎が継いだ。

系譜

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脚注

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