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小野尊光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小野 尊光
小野尊光
時代 幕末 - 昭和前期
生誕 嘉永2年12月8日1850年1月20日[1]
死没 昭和12年(1937年11月20日[1][2]
改名 宗丸(幼名)[1][3]
官位 従二位勲四等[4]
主君 明治天皇大正天皇昭和天皇
氏族 小野氏
父母 父:小野尊安、母:小野豊子
小野鑇子
尊正
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小野 尊光(おの たかてる)は、明治から昭和期の神職政治家華族貴族院男爵議員。天葺根命95代。

経歴

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出雲国神門郡日御碕(現島根県出雲市大社町日御碕)で日御碕神社神職、94代天葺根命・小野尊安の長男として生まれる[1][3][4]。明治5年3月12日1872年4月19日)父の隠居に伴い家督を継承し尊光と改名[1][5]1873年(明治6年)10月、華族に列し、1884年(明治17年)7月8日男爵を叙爵した[1][6][7]

家督継承後、日御碕神社権宮司に任じられ、以後、同社権中講義、同宮司・権大講義、兼権少教正を歴任[3][5][6]。この間、遷宮を行った[8]

1901年(明治34年)4月27日、日御碕神社宮司を辞任[9]。同年6月6日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[10][11]1911年(明治44年)7月9日まで2期在任した[2]。この間、山陰本線の建設、日御碕灯台の設置、沿岸道路の整備などに尽力した[8]

1936年(昭和11年)5月30日に隠居し[1][12]、長男・尊正が同年7月1日に男爵を襲爵した[1][13]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 読みは「せいこ」、漢字は「⿰金斉」。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 霞会館 1996, p. 396–398.
  2. ^ a b 衆議院 & 参議院 1990, p. 65.
  3. ^ a b c d 杉謙二 2011, p. 174–175.
  4. ^ a b c d e f g h i 人事興信所 1934, p. 40(オ).
  5. ^ a b 成瀬麟 & 土屋周太郎 1913, p. 24(を).
  6. ^ a b 筒井住蓮 1911, p. 62.
  7. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  8. ^ a b 島根県大百科事典編集委員会 1982, p. 338.
  9. ^ 『官報』第5344号、明治34年4月30日。
  10. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、11頁。
  11. ^ 『官報』第5377号、明治34年6月7日。
  12. ^ 『官報』第2827号、昭和11年6月6日。
  13. ^ 『官報』第2849号、昭和11年7月2日。
  14. ^ 人事興信所 1940, p. 4(セ).
  15. ^ 人事興信所 1940, p. 37(オ).

参考文献

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  • 筒井住蓮 編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。 
  • 成瀬麟; 土屋周太郎 編『大日本人物誌:一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。 
  • 人事興信所 編『人事興信録』(10版)人事興信所、1934年。 
  • 人事興信所 編『人事興信録』(12版)人事興信所、1940年。 
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 島根県大百科事典編集委員会 編『島根県大百科事典 上巻』山陰中央新報社、1982年。 
  • 衆議院; 参議院 編『議会制度百年史:貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。 
  • 霞会館 編『平成新修旧華族家系大成上巻』吉川弘文館、1996年。 
  • 杉謙二 編『華族畫報 上』吉川弘文館、2011年。  - 華族画報社大正2年刊の複製。

関連項目

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日本の爵位
先代
叙爵
男爵
小野家初代
1884年 - 1936年
次代
小野尊正