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小野賢三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小野 賢三郎
生誕 1889年6月2日
日本の旗 日本 宮城県
死没 (1964-07-01) 1964年7月1日(75歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1910年 - 1939年
1941年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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小野 賢三郎(おの けんざぶろう、1889年明治22年)6月2日[1] - 1964年昭和39年)7月1日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

経歴

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1889年(明治22年)に宮城県で生まれた[1]陸軍士官学校第22期、陸軍大学校第35期卒業[1]1934年(昭和9年)8月1日陸軍歩兵大佐進級と同時に松本連隊区司令官に着任した[2]1935年(昭和10年)12月に歩兵第5連隊長に転じ[2]1936年(昭和11年)8月に第2師団司令部附となり[2]東北帝国大学に配属された[2]

1938年(昭和13年)3月1日に陸軍少将に進級し[2]、新規編制された歩兵第133旅団長(北支那方面軍第110師団)に就任して日中戦争に出動[1]京漢線石門地区の警備に任じつつ[1]、冀西、晋察冀辺区などでの作戦に出撃した[1]1939年(昭和14年)8月1日留守第2師団司令部附となり[1]8月30日に待命[2]9月3日予備役に編入された[1]1941年(昭和16年)12月1日に召集され留守第2師団兵務部長に就任し[1]1943年(昭和18年)6月に第43師団兵務部長に転じた[1]1945年(昭和20年)3月31日仙台師管区兵務部長に就任した[3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

栄典

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勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 福川 2001, 193頁.
  2. ^ a b c d e f 外山 1981, 282頁.
  3. ^ 第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900 
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」123頁。
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026