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小長谷 政良(こながや まさなが、生年不詳 - 文政元年(1818年))は、江戸時代後期の旗本。石河政武の子で、小長谷政房の養子。七三郎、新三郎。従五位下弾正少弼、能登守、和泉守。室は久世広之の娘。
普請奉行を務め、文化5年(1808年)11月より1812年11月まで、京都東町奉行を務めた。伏見支配兼帯だったが、1811年に伏見奉行が復活にしたため兼帯を解かれた。1812年より1814年迄勘定奉行を務めた。
- 京都市姓氏歴史人物大辞典編集委員会『京都市姓氏歴史人物大辞典』(角川書店 、1997年) P314
- 寛政重修諸家譜 巻第323