小鷲河村
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こわしがわそん 小鷲河村 | |
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廃止日 | 1955年7月1日 |
廃止理由 |
新設合併 鹿野町(初代)、勝谷村、小鷲河村 → 鹿野町 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 気高郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 28.8 km2 |
総人口 |
1,599人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
鳥取市、鹿野町(初代)、逢坂村、青谷町 八頭郡河原町 東伯郡三朝町 |
小鷲河村役場 | |
所在地 | 鳥取県気高郡小鷲河村大字鷲峰字中垣889番地[1] |
座標 | 北緯35度26分37秒 東経134度01分37秒 / 北緯35.44353度 東経134.02685度座標: 北緯35度26分37秒 東経134度01分37秒 / 北緯35.44353度 東経134.02685度 |
特記事項 | 座標は現在の鷲峯公民館位置 |
ウィキプロジェクト |
小鷲河村(こわしがわそん[2][3])は、鳥取県気高郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは気多郡に属した。
概要
[編集]現在の鳥取市鹿野町小別所・鹿野町鷲峯(じゅうぼう)・鹿野町河内(こうち)に相当する。鷲峰山北西麓、および河内川中流域に位置した。
藩政時代には鳥取藩領の気多郡殿村郷(とのむらのごう)に属する小別所村・鷲峰村・河内村があった[4]。
沿革
[編集]- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)3月 - 山宮村(後の逢坂村大字山宮)に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる[5]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、小別所村・鷲峰村・河内村が合併して村制施行し、気多郡小鷲河村が発足。旧村名を継承した3大字を編成し、役場を鷲峰村に設置[4][6]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡小鷲河村となる。
- 1915年(大正4年)1月1日 - 「小鷲河村大字◯◯村」から大字の「村」を削除し、「小鷲河村大字◯◯」と改称[7]。
- 1955年(昭和30年)7月1日 - 鹿野町(初代)・勝谷村と合併し、改めて鹿野町(2代)が発足。同日小鷲河村廃止[8]。
行政
[編集]歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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初 | 田中鉄藏 | 1889年(明治22年)11月16日 | 1893年(明治26年)1月20日 | |
2 | 倉益啓次郎 | 1893年(明治26年)2月8日 | 1897年(明治30年)2月2日 | |
3 | 田中鉄藏 | 1897年(明治30年)2月3日 | 1899年(明治32年)8月7日 | |
4 | 前田六藏 | 1899年(明治32年)8月22日 | 1902年(明治35年)2月22日 | |
5 | 三谷富藏 | 1902年(明治35年)4月4日 | 1907年(明治40年)8月17日 | |
6 | 池原友市 | 1907年(明治40年)8月31日 | 1907年(明治40年)12月25日 | |
7 | 田中鉄藏 | 1908年(明治41年)1月10日 | 1910年(明治43年)3月15日 | |
8 | 三谷富藏 | 1910年(明治43年)3月29日 | 1912年(大正元年)12月14日 | |
9 | 池原友市 | 1913年(大正2年)1月10日 | 1913年(大正2年)5月29日 | |
10 | 田中鉄藏 | 1913年(大正2年)7月14日 | 1915年(大正4年)11月19日 | |
11 | 三谷富藏 | 1915年(大正4年)12月14日 | 1922年(大正11年)3月19日 | |
12 | 池原友市 | 1922年(大正11年)5月15日 | 1924年(大正13年)5月6日 | |
13 | 前田吉※ | 1924年(大正13年)5月21日 | 1929年(昭和4年)12月27日 | |
14 | 山本實三郎 | 1930年(昭和5年)1月14日 | 1934年(昭和9年)1月13日 | |
15 | 國森一郎 | 1934年(昭和9年)1月22日 | 1937年(昭和12年)1月2日 | |
16 | 國森子太郎 | 1937年(昭和12年)2月5日 | 1946年(昭和21年)11月18日 | |
17 | 中田耕 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1947年(昭和22年)12月17日 | |
18 | 三谷博通 | 1948年(昭和23年)1月31日 | 1952年(昭和27年)1月30日 | |
19 | 國森子太郎 | 1952年(昭和27年)1月31日 | 1955年(昭和30年)6月30日 | 合併後、鹿野町長に就任 |
参考文献 - 鹿野町誌. 別巻(鹿野町誌編集委員会、1995年) |
教育
[編集]- 小鷲河村立小鷲河小学校(後の鹿野町立小鷲河小学校、2001年に統合により新・鹿野小学校となり閉校)
脚注
[編集]- ^ 鳥取県気高郡勢要覧 大正11年(鳥取県気高郡、1924年)
- ^ a b 鳥取県の地名由来語源参考 : 平成の地名(森納、2009年)
- ^ 鳥取県史 近代 第1巻 (総説篇)840頁(鳥取県、1969年)
- ^ a b 気高町誌(気高町教育委員会、1977年)
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)
- ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ 「大字名改称」『官報』1914年12月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鳥取県告示第313号・市町村の廃置分合」『鳥取県公報 第2628号』1955年6月28日(鳥取県立公文書館)