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小鷹利城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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小鷹利城
岐阜県
別名 小鷹狩城
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 姉小路氏(向氏)
築城年 応永年間(1394年-1428年)以降
主な城主 小鷹利伊賀守
廃城年 1615年(慶長20年)
遺構 土塁畝状竪堀礎石建物
指定文化財 国の史跡「小鷹利城跡」
(「姉小路氏城跡」のうち)
再建造物 なし
位置 北緯36度14分59.3秒 東経137度06分24.1秒 / 北緯36.249806度 東経137.106694度 / 36.249806; 137.106694座標: 北緯36度14分59.3秒 東経137度06分24.1秒 / 北緯36.249806度 東経137.106694度 / 36.249806; 137.106694
地図
小鷹利城の位置(岐阜県内)
小鷹利城
小鷹利城
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小鷹利城(こたかりじょう)は、岐阜県飛騨市河合町稲越にあった中世日本の城山城)。別名・小鷹狩城。姉小路家向氏が築城した。国の史跡に指定されている(史跡「姉小路氏城跡」のうち)[1][2]持城向小島城がある。

概要・歴史

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応永年間(1394年 - 1428年)以後、姉小路師言国司に任じられ、標高780メートルの黒内山山頂部に築城された。城代は小鷹利伊賀守戦国時代には牛丸重親が謀反し、重臣後藤重元向井右近太夫・小鷹利某等は窮地を脱するが、重元は討死にする。向宣政と弟である向俊政小鷹利氏は母国の佐竹氏へ仕え、後に向宣政は姉小路頼綱の次女を妻とした。八日町の戦い後、牛丸氏は討伐され、姉小路氏の城となる。飛騨征伐後の江戸時代には一国一城令により廃城なった[3]

1959年(昭和34年)11月16日に岐阜県指定史跡に指定され[4][5]、2024年(令和6年)2月21日に国の史跡に指定された(史跡「姉小路氏城跡」のうち)。

城郭

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土塁畝状竪堀等が残る[6]。又礎石建物も発見されている[7]

脚注

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  1. ^ 文化審議会の答申(史跡名勝天然記念物の指定等)について(文化庁報道発表 、2023年10月20日)。
  2. ^ 令和6年2月21日文部科学省告示第12号
  3. ^ 『飛騨市山城マップ~姉小路編~』飛騨市教育委員会事務局文化振興課
  4. ^ 「小鷹利城」岐阜県公式HP
  5. ^ 「県指定文化財一覧(飛騨市内の文化財一覧)」飛騨市教育委員会公式HP
  6. ^ 「小島城跡(飛騨国司・姉小路氏の城館群)」飛騨市教育委員会公式HP
  7. ^ 小鷹利城跡で礎石建物を発見(PDF)飛騨市公式HP

関連項目

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外部リンク

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