小鷹利城
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小鷹利城 (岐阜県) | |
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別名 | 小鷹狩城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 姉小路氏(向氏) |
築城年 | 応永年間(1394年-1428年)以降 |
主な城主 | 小鷹利伊賀守 |
廃城年 | 1615年(慶長20年) |
遺構 | 土塁、郭、堀、畝状竪堀、礎石建物 |
指定文化財 |
国の史跡「小鷹利城跡」 (「姉小路氏城跡」のうち) |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯36度14分59.3秒 東経137度06分24.1秒 / 北緯36.249806度 東経137.106694度座標: 北緯36度14分59.3秒 東経137度06分24.1秒 / 北緯36.249806度 東経137.106694度 |
地図 |
小鷹利城(こたかりじょう)は、岐阜県飛騨市河合町稲越にあった中世の日本の城(山城)。別名・小鷹狩城。姉小路家向氏が築城した。国の史跡に指定されている(史跡「姉小路氏城跡」のうち)[1][2]。持城に向小島城がある。
概要・歴史
[編集]応永年間(1394年 - 1428年)以後、姉小路師言が国司に任じられ、標高780メートルの黒内山山頂部に築城された。城代は小鷹利伊賀守。戦国時代には牛丸重親が謀反し、重臣後藤重元・向井右近太夫・小鷹利某等は窮地を脱するが、重元は討死にする。向宣政と弟である向俊政と小鷹利氏は母国の佐竹氏へ仕え、後に向宣政は姉小路頼綱の次女を妻とした。八日町の戦い後、牛丸氏は討伐され、姉小路氏の城となる。飛騨征伐後の江戸時代には一国一城令により廃城なった[3]。
1959年(昭和34年)11月16日に岐阜県指定史跡に指定され[4][5]、2024年(令和6年)2月21日に国の史跡に指定された(史跡「姉小路氏城跡」のうち)。
城郭
[編集]土塁、郭、堀、畝状竪堀等が残る[6]。又礎石建物も発見されている[7]。
脚注
[編集]- ^ 文化審議会の答申(史跡名勝天然記念物の指定等)について(文化庁報道発表 、2023年10月20日)。
- ^ 令和6年2月21日文部科学省告示第12号
- ^ 『飛騨市山城マップ~姉小路編~』飛騨市教育委員会事務局文化振興課
- ^ 「小鷹利城」岐阜県公式HP
- ^ 「県指定文化財一覧(飛騨市内の文化財一覧)」飛騨市教育委員会公式HP
- ^ 「小島城跡(飛騨国司・姉小路氏の城館群)」飛騨市教育委員会公式HP
- ^ 小鷹利城跡で礎石建物を発見(PDF)飛騨市公式HP
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 『飛騨市の文化財』飛騨市教育委員会事務局文化振興課
- 小鷹利城跡-岐阜県公式HP
- 小鷹利城 -飛騨の城ー
- 小鷹利城
- 飛騨 小鷹利城-城郭放浪記
- 小鷹利城 /城跡巡り備忘録 岐阜県