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尚 志魯(しょう しろ、生年不詳 - 1453年(景泰4年))は、琉球王国王室第一尚氏の王族。別名は志魯王子。
尚金福王の長男として生まれる。1453年、琉球国王の父が死去すると志魯は有力な王位継承候補者だった。しかしまだ20代ほどの若さであったため、叔父の布里が反発した。その結果、志魯・布里の乱が勃発する[1]。この戦いで志魯は戦死し、布里も首里を追われた[1]。王位は布里の弟で尚巴志の七男の尚泰久王(志魯の叔父)が継承した[1]。